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ヒメタデ Persicaria erectominorについて

全ての問題は、牧野によるヒメタデの原記載と、牧野がホロタイプを指定しなかったことに始まりがあるように思われる。

https://doi.org/10.15281/jplantres1887.28.328_105

牧野によるヒメタデの原記載は上記リンクから読むことができる。

文字起こしを次に掲示する。

Polygonum erecto-minus MAKINO, sp. nov. (Sect. Persicaria. )

Polygonum serrulatum MATSUM. in Sched. Herb. Sc. Coll. Imp. Univ. Tokyo, pro parte, non LAGASCA.
Annual, erect, about 2-42 decim. high.

Stem laxly ramose or nearly simple, slender, terete, smooth, glabrous, often more
or less flexuous below, strongly or slightly prominent at the nodes ; internodes usually shorter than the leaves ; branches erect-patent, but the basal ones sometimes spreading or divaricate. Leaves altenate, erect-patent or sometimes erect, very shortly petiolate or subsessile, broadly linear or linear, acute or shortly acuminate with a sharp point at the apex, acute subobtuse or rounded at the base, entire and erectpatently or subadpressedly (sometimes adpressed when dry) ciliated on margin, green and glabrous above, glabrous but minutely and thinly short-setuloso-pilosulous on the midrib and sometimes purpurascent beneath, numerously punctulate with minute and elevated spots of one kind scattered over the surface under lens, membranaceous, 3-8.2 cm. long, 2.2-10 mm. broad ; midrib prominent beneath ; veins delicate, inconspicuous, erect-patent ; petiole 4 mm. or less long, glabrous ; ochrea tubular, hyalinomembranaceous, truncate and rather long bearded at the mouth, thinly adpressedly setuloso-pilosulous on surface, manynerved, 5-12 mm. long. Peduncles terminal and axillary, lax, erect, gracile, usually long, glabrous, green. Racemes spikelike, erect, narrowly oblong-cylindrical, 1-2 cm. long except the lowest interrupted flower-cluster, 5-6 mm. across, densely flowered ; rachis filiform, glabrous. Flower-clusters closely placed, the lowest one interruptedly and remotely placed ; bracts turbinate, obliquely truncate and fimbriato-ciliated with long or rather short seta, glabrous, scarious towards the apex, 2-3 mm, long. Flowers small, pedicellate, purplish, 2 mm. long. Calyx 5-parted, scantily glanduloso-punctate or nearly so or not; segments oval or oval-elliptical, rounded at the apex, concave, the outer ones subcarin ate dorsally. Stamens 5 or 7, included ; filament subulate ; anther rounded. Pistil included, slightly exceeding the stamens ; ovary oval, acute at the apex, trigonous, smooth; style somewhat shorter than the ovary, 3-parted, the connate portion shorter than the arms ; stigma capitate. Achene included, as long as the persistent calyx, oval or ovoid-oval, acutish or acute at the apex, trigonous with obtuse-angles, black, smooth, shining, 1-4 mm. long. Flowers in May-July. 

Nom. Jap. Hime-tade (JINzO MATSUMURA).
Hab. Prov. SHINANO : Asama (R. YATABE and J. MATsUMURA !Herb. Se. Coll. Imp. Univ. Tokyo, July 20, 1880) ;
Prov. TOSA : Takaoka-gori (T. MAKINO !May 1886), Doi in Aki-gori (T. MAKINO ! June 3, 1892) ; Prov. SAGAMI : Hiratsuka (T. MAKINO !June 24, 1900).
This species comes near to Polygonum minus HUDS. forma trigonocarpum MAKINO, but it is a much smaller plant having the erect stem, leaves punctulate with spots of one kind, the smaller and deeper-coloured flower. It grows on the humour or rarely sandy soil, and flowers in May-July. 

 

暫定的な形態記述の和訳

茎は疎らに分岐するかほとんど分岐せず、細長く円柱状、平滑で無毛、しばしば下部で屈曲し、節で強くないしやや顕著である; 節間は通常はより短い; 枝は直立し分岐はんあいが基部の枝は広がったり分岐することがある。葉は互生で直立-開出するかときに直立し、葉柄はごく短いか無柄、広線形もしくは線形、先端は鋭頭もしくはわずかに禾状(shortly acuminate with a sharp point at the apex)、基部は鋭い、亜鈍頭もしくは丸身を帯びる(要は様々ということ)、全縁で縁には直立-開出またはやや圧着して(乾くと圧着して)細毛を持ち、上面は緑色で無毛だが中脈に微細で薄い短繊維状の毛を持ち、下面はときに紫色を帯び、拡大すると多数の点状で隆起した斑点が散在し、長さ3-8.2㎝、幅2.2-10㎜; 中脈は下面で顕著で側脈は繊細ではっきりせず、直立-開出; 葉柄は4㎜以下、無毛。葉鞘は筒状で透明膜質、切型で口には長い髭をもち、表面に薄く圧着した細毛をもち、多くの葉脈をもち、長さ5-12㎜; 花柄は頂生および腋生、疎に直立し細く、通常長く無毛、緑色; 総状花序は穂状、直立し、最下部の花房を除いて長さ1-2㎝、幅5-6㎜、密集して咲く; 花序軸は糸状で無毛、花の集団は密集し、最下部の花集団のみ断続的かつ離れてつく。苞は渦巻き状で斜めに切型、先端に向けて薄膜状になり、無毛で長いまたは短い剛毛がある(訳注:語学力のなさからか矛盾しているように読める.);花は小さく小柄を持ち長さ2㎜、紫色を帯びる。萼は5裂し、わずかに腺点状またはほぼ腺点状または無腺。花被片は楕円形または卵楕円形で、先端は丸く、凹状で、外側の花被片の背側はやや竜骨状; 雄蕊は5-7で内包される; 花糸は先にむけ細くなる; 葯は丸い; 雌蕊も内包され、雄蕊よりやや長く、子房は卵形で先端は尖り、三稜形、平滑、花柱は子房よりやや短く、3裂し、接合する部分は分岐する腕より短い; 柱頭は頭状; 痩果は内包され、残存する萼と同じ長さで卵形または卵楕円形、先端は鋭角または鋭頭、角の鈍い3稜形で黒く光沢があり長さ1-4㎜、花期は5-7月。

ホソバイヌタデに近いがはるかに小型で茎は直立し、葉には1種類の斑点があり、花は小さく深色。湿った地面またはまれに砂地に生育し5月―7月に開花する。

 

 

この時点で牧野が認識している他のヌカボタデ・ヒメタデ類はヒメタデ、ホソバイヌタデ(花色をLight-roseとし葉には2種類の点をもつとする)、ヌカボタデ、ヤナギヌカボ、サイコクヌカボ、シマヒメタデであり、これらはすべて同じ文献で記載されている。

さて注目したいのは牧野はヒメタデの花は「Purplish」とし、ホソバイヌタデより深色としていること、またヒメタデの花は下部1段のみ離れて付きのこりは密集する

しかも花期は5-7月としている。

 

さて、牧野によりこのてのタデ類のメンバーが出そろったわけだが混沌は解消されたわけではなかった。

伊藤至は1957年に「ヒメタデ類小記 Notes on Persicaria erecto-minor group of Japan」を書いている。

https://doi.org/10.51033/jjapbot.31_6_4002

この書き出しでは彼がひじょうに悩まされたことがよくわかる…

「タデ類の形質は安定性が少く、変異が大きく、一種内の変化範囲、種と種の中間形などについて、以前から難渋していた。たまたま東京大学に、原先生のご指導を仰ぎこの方面の研究調査する好機に恵まれた。この結果若干分かったことをまとめてみたが。未解決の点も多く、殊に区別点については新事実を見つけることができなかった」

絶望的な書き出しで始まるこの文献においてヒメタデとアオヒメタデについて述べられている。

以下引用。 

「茎は通常やや細く疎に分岐し、多少帯紅色。葉鞘は通常薄く透明室、疎に圧毛、縁毛は長いかまたは短い。葉は腺形~線状披針形~広披針形、鈍頭状微尖~鋭頭~鋭尖頭、狭脚~円脚、やや無柄、非常に変化があり多くは6~7㎝×4~6(9)㎜、通常薄膜室、稀にやや草質(革質の誤記?)、側脈不分明稀にやや明らか、縁辺と脈を除き無毛、稀に両面疎に短毛を布く、下面微隆起点を布くが腺点はない、花穂はやや密花、直立、稀に両面疎に短毛を布く、下面微隆起点を布くが腺点はない。花穂はやや密花、直立、狭円筒状、下部の毛は離在することが多い。頂生花序は単立、往々分岐、花茎はときに毛管状、小苞の縁毛は著しい。花被暗紅色、往々盤状腺点がある。果は3稜形、長さ1.5~2㎜、花期は5-10月。

本種は非常に多型で葉は線形、果は小さく、全体繊細のものと、葉は広く、果は大きく、全体がっちりした両極端品はずいぶん違うように見えるが、前者は夏秋、後者は春夏らしく、両者は連続移行して区別することは難しいと、原先生も指摘されていられる。」

ここでアオヒメタデについて触れられるのが、アオヒメタデの文献上初出である。元々は原がラベル上に手記したものであるようだ。

注目したいのは、伊藤がホソバイヌタデとヒメタデを同種の変種関係としたことである。いわく

「ホソバイヌタデの葉の狭いものと、ヒメタデの葉の広いものは区別がつきにくく、連続移行するようなので、両者の独立種は無理のようである。」

とのことだ。和名に関して、中井はアオヤナギヌカボ、青花ホソバイヌタデともよんだようであるが、ここでアオヒメタデはヒメタデの白花品となったように読める。

 

さて、ヒメタデ問題はその後困ったことになる。2024年現在、牧野の記述を満たすようなヒメタデの生態写真はインターネットでみるかぎり1枚もなく、「品種」であるアオヒメタデだけが記録されている。(山野草でいう「ヒメタデ」はイヌタデ矮性品でイザリイヌタデなどとよばれるもの)しかし伊藤の記した産地は多数あるので、すくなくともアオヒメタデではないヒメタデは存在はしていたように思う。伊藤はヒメタデのタイプを1880年に矢田部および松村が採集した浅間山の標本としているが、牧野は原記載でホロタイプを指定しているようには読めない。

 

 

さて、ヒメタデは殆ど記録されないまま経過するのだが、2014年の藤井伸二、牧雅之、國井秀信による文献ではヒメタデとアオヒメタデには季節消長、形態・生育環境、分布様式について若干の差異が認められたとする。

島根県新産植物3種の記録(シログワイ,ノダイオウ,ヒメタデ)とアオヒメタデに関するノート(調査報告)

ここで藤井らは、伊藤(1956)が「春夏に開花し葉は広く、果は大きく、全体がっちりしたもの」を狭義ヒメタデと考えている。この花は赤~ピンク色を帯び、撹乱地型ヒメタデと呼ばれたものに相当するのではないかとしている。開花結実は春夏(5~6(~7月))、葉幅はアオヒメタデより広く、茎及び花序柄もアオヒメタデに比べ太いとする。いっぽうで変異が大きく連続的とし、九州のアオヒメタデは赤花で狭義ヒメタデにも淡紅色や白花の花色変異があるとする。さらに近畿、中国、四国地方で採集された大部分の産地は狭義のヒメタデであり、西日本では両種が分布するものの東北および北関東ではアオヒメタデが圧倒的に優先すること、アオヒメタデが氾濫原性の水湿地に生育するのに対し狭義ヒメタデは農耕地や荒地など様々な環境に生育すること、を挙げ、そのうえで季節消長や分布様式、生育環境に若干の相違がみられるため変種以上のランクとすべきとしている。

 

私は関東地方の民なのでこの狭義ヒメタデなる分類群には全く縁がなく、正直いうと、複数種の標本観察をもとに牧野がキメラ的に作ってしまった、実在しない生物だと考えていた。しかしどうやら、少なくとも過去には「アオヒメタデに似るが大型で、春に開花し、アオヒメタデとホソバイヌタデの中間のような草姿だがホソバイヌタデよりは小型で、陸地に生育する、ホソバイヌタデのような腺点はないけれど葉裏には隆起が多くあり、穂は密につく謎のヌカボタデ類」が存在していたようには思える。牧野のシンタイプには誤同定が含まれるという噂は以前聞いていて、現在Web上でアクセスできる高知県産の標本は伊藤(1956)の産地リストにはない。ただ牧野が架空の植物を記述したとは思えないので、すくなくとも何かしらの「ヒメタデ」が牧野の手元にはあったのではないかと思うし、伊藤にしても「ヒメタデには白花品しかない」というような記述はしていない。

しかしこの謎の植物がはたして現在の日本列島に現存しているのかは、はなはだ疑問と思ってしまう。いくらなんでも、そこまで目立つ生き物がまったくもって認知されておらず、正体が謎だというWeb記事が割と目に触れるようになってから10年以上も、だれひとりとして「これが本物のヒメタデだ」というような投稿をしていない…というのは考え難いように思えてしまうのだ。

エドガワヌカボと呼ばれるべき未記載種は沢山アップされているけれど、エドガワヌカボはビチャビチャの沼地にしか生えないくらい水生傾向が強く、葉はアオヒメタデなみかそれ以上に細く、匍匐性と言った方がいいくらいに這う傾向が強くて直立せず、花序は下3~4段以上が離れて付き、牧野の記述にある植物とは全く異なる。

 

そして何とも不気味なのが、インターネット上で確認できる中では2000年代以降最後の狭義ヒメタデに関する、愛知県レッドデータのヒメタデに関する記述である…

https://kankyojoho.pref.aichi.jp/rdb/pdf/plants/species/ikansoku/%E3%83%92%E3%83%A1%E3%82%BF%E3%83%87.pdf

 

この記述は撹乱地に生じ、アオヒメタデではない個体群について扱っている。

1997年6月に1回採集され、その後何回かの探索にもかかわらず再確認できず、2018年10月になって大治町の庭に突然白花の株が2株出現した…というものである。さらに「生育状況は偶産的だが、もともとそのような植物」としている。

 

これはあくまで仮説にもならない、私の想像なのだが…

狭義ヒメタデの生育するような環境はもう日本にはなくなってしまい、もはや認識されないほど激減している、ということを示してはいないだろうか、と思う。

未だに本物のヒメタデが投稿されずエドガワヌカボの投稿が増え続けるのを見るに、いまの日本で、青くないアオヒメタデを求めるとエドガワヌカボにしか行きつかないということなのだろう。さらにアオヒメタデが現状、渡良瀬遊水地とその周囲のそれに近い環境/そこから種が供給される環境にしかほとんどみられないことはその傍証だろう。アオヒメタデは東北地方などからも多数の報告例があるようだが、近年の報告はほとんど聞かないし、少なくとも私は見たことがない。渡良瀬のような「古き姿をとどめた草原地帯」以外では生き残れない植物なのだ、と考えるとしっくりくる。水生のエドガワヌカボが分布は極めて薄いもののもう少しだけ広い範囲でみられることをふまえると、水生傾向が強いほど絶滅までは至りにくいのではないかと思う。

どうやらヒメタデは撹乱された陸地に生じる小型の一年草のようだが、現在撹乱された陸地は外来種の跋扈する環境となっており、撹乱地性の陸生植物にとっては非常に厳しい環境のように思う。また牧野が歩いた時代の日本の里山や山野は植生だけでなく、化学肥料の普及前であることから土質も大きく違い、木材の利用により草原も湿地も現在よりはるかに広がっていたはずだ。そうした時代においては、ヒメタデは採集しやすい場所に、ごく身近にみられた植物だったのではないか、そう思えてならない。

いつまでたっても記載論文の出ない”エドガワヌカボ”や、同じく記載されるべきだろうアオヒメタデは、どうも読む限り当時の牧野は認識していないように思う。これらは同所的に分布するものの牧野が認識したホソバイヌタデに比べるとかなり沼地に近い湿地を好む(とくに抽水生といって過言ではないエドガワヌカボ)。

1910年代の関東地方は圃場整備が進んでおらず、そこかしこが沼地と深田だったことだろう。現在もわりかしそうだけれども、関西のため池周囲などに比べて関東の湿地は当時、アクセスが非常に難しかったのではないか。そのため牧野の目を逃れられたのではないか、そう思ったりもする。あくまでも空想に過ぎないけれど、日本史上最強のプラントハンターの目から逃れるには相当の隠れる術か、そもそも彼をそうした環境に近寄らせない状況がないといけないように思ってしまう。

 

ヒメタデが正体不明のまま、ほんとうに絶滅してしまう前に、だれか「これが真に本物のヒメタデだ」というものをみつけてくれないか、そう願っている。