水草は陸上植物が水辺や水中など、水の深くかかわる環境に適応したものである。
これは原則中の原則である。
しかし、陸上植物においても被子植物に限って言えばいまだに、じつはその起源は水中や少なくとも水辺にあるのではないかという説があり、分子系統解析では否定されがちなもののあながち捨てきれるものではない。さらに、シダ植物や裸子植物に水生種がいまなお希少であることはその傍証かもしれない。今回は、化石記録における水生植物についてふれる。
水生植物は化石がそれほど多いわけではない。しかしその一方で新生代のフサモ属Myriophyllumやマツモ属Ceratophyllum、ヒシ属Trapaなどのように、化石記録がかなり多いものも含まれている。それは水草が生育する環境が水辺にあり、そして水辺の嫌気的条件がしばしば化石保存に適していることが関係する。しかしアクアリストならだれもがご存じのように水草は基本的に柔らかく、枯死すればすぐ溶けるように腐敗してしまうのもまた事実だ。そのため化石記録は基本的に断片的か、硬い種子などの部分のことが多く、全草が復元できるものはひじょうに少ない。さらにその同定が怪しいものもたくさんある。現在みられる数百属におよぶ水草がどのように水生適応を遂げてきたのか、その各々を自信をもって追いかけることは現状極めて難しいといえるし、昔にはこんな変な水草がいた!と、自信をもって提示できるほど素晴らしい化石記録は残念ながら殆ど皆無だ。
ただ、白亜紀の水草に関してはいくつかだけれど特筆すべきものがあるので、今後個別に記事を立てていきたい気はしている。新生代の水草は残念ながらかなりのものが現生種に繋がってしまうので、面白いものを見つけるのに苦戦している。
古生代の水草たち
0.断り書き・・・カンブリア紀のヒルムシロ属は流石にありえないという話・・・
陸上植物は水中に生育した緑藻類の一系統が古生代…おそらくオルドビス紀からシルル紀に上陸したものを起源としており、水草とされるグループは多系統でかつ、ヒルムシロ科はじめとしてその多くは中生代後半に出現した被子植物に属していることは2024年現在、ほぼすべての科学的知見が同意しているところである。
したがって本稿は、邦書(中には専門的な書物を含む)に散見されるカンブリア紀のヒルムシロ属花粉化石などを用いて陸上植物が水草に由来することを論じる目的では断じてないことを最初に断っておく。ヒルムシロ属の花粉がでたという話が何に由来するのか、具体的な初出の文献をみつけられていないが、このような説が出て割と広く受け入れられてしまった理由はいくつかあるだろう。まずヒルムシロ属はその非常に単純化した体制から、きわめて原始的な被子植物であると長らく考えられてきた。なかにはミズニラ類と並べて最も原始的な維管束植物と論ずることさえもあったという。そのため、ヒルムシロ属が最初の水草とする説があったとしても特に当時としては違和感がない。第二に、ヒルムシロ属の花粉は構造が単純かつ一見特徴的で、古生物学においてよく知られていることだ。ヒルムシロ属の花粉は極めて単純な構造で、以下のように古生物学では呼称される。「穴はなく25~35μmで外膜には細かい網目状模様がある」と。似たような形状のものが生じえないとは言えない単純な構造であり誤認することは十分あるだろう。
カンブリア紀のヒルムシロは現在の進化史や生命史を少し知っている人ならば必ずツッコミが入るレベルの荒唐無稽な話なので、もし調べるのに熱心な方が見かけたとしても忘れるようにした方がいいと断言する。
1.最初期の”半水生”陸上植物たちと最初の水草(?)Taenioclada decheniana
カンブリア紀後期からオルドビス紀にかけて、さきに上陸したのは動物なのか、植物なのか、はたまた菌類なのか、諸説ある。植物と断定できる化石記録として、最も古いレベルにあり、かつ詳しくその生育状況がわかっているのがデボン紀前期のライニーチャートRhynie Chartから知られるクックソニアCooksoniaやアグラオフィトンAglaophyton、リニアRhynia、ホルネオフィトン Horneophyton、ノシアNothia, Trichopherophyton, Ventaruraなどといったステム維管束植物で、これらは少なくとも湿地に生育していた。シルル紀~デボン紀からはほかにも様々な陸上植物が発見されている。Zosterophyllonなど、ほかにも現在や古生代以降の維管束植物の分類群のどれにも当てはまらない植物がみられる。便宜的かつ簡便にその特徴について記すが、各種の構造がその後詳しくわかるようになると、それぞれの種の所属に?がつくことが多くなり、はっきりと分類できない状況になっている。
リニア門Rhyniophyta・・・胞子嚢は頂生、顕著な紡錘形であり茎は突起を欠き裸。
ゾステロフィルム門Zosterophyllophyta・・・胞子嚢は軸に偏生、球形か腎臓形で茎はしばしば針状突起を伴う
トリメロフィトン門Trimerophytina・・・上記2つおよび現生の門にあてはまらない。PsilophytonやPerticaなど
これらの植物は気孔こそもっていたため空中でのガス交換はできても、維管束による水の吸い上げは未熟であった。これらの植物はすでにグロムス類の菌根菌と共生していたが根、葉、茎の区別はまだ不明瞭であり、そのような構造があっても現生植物とどのような対応関係にあるかもはなはだ疑わしい。これらの少なくとも一部は半水生とは言えるかもしれないが、水草であるかどうかに関しては議論を避ける。たとえば、ゾステロフィルム門ではないかといわれているThursophytonは湖成層から発見されており、水辺に生育していたと考えられている。しかし今の感覚でいえば水辺に生えているのは水草的だが、この時代はまだ陸上植物が水辺から逃れるほどの生理的特徴を備えていない時代、これらすべてを水草といってしまうのは乱暴ではなかろうか。
しかし、最初の水草はこの時代から発見されている。
私は最初の水草として、デボン紀前期のTaeniocrada dechenianaを挙げようと思う。Taeniocradaの表皮構造はよく保存されているが、植物体の少なくとも下面には気孔が見当たらず、茎というか二叉分岐を繰り返す草体は扁平でその側方に胞子嚢をつける。Taeniocradaはリニアよりは派生的と思われているが、そうだとすれば維管束植物の進化のきわめて早期において水中への再適応・・・最初の水草化が起こったことになる。これなら自信をもって水草といえるのではなかろうか。分類はリニア門といわれていたが胞子嚢は先端付近に側生するようで、現状よくわからない。
2.最初の小葉植物Lycophyte
ライニーチャートから見つかる植物の中でも、そこから1段階進んでおり、異彩を放つのがAsteroxylonである。この植物は根状の分岐を持っており、どうやら現在の小葉植物Lycophyte…ヒカゲノカズラやミズニラなどを含むグループの祖型であるらしい(注意;植物学上の小葉植物と、地質学上の小葉植物は意味がまったく異なるので、前者を意味したいときにはヒカゲノカズラ植物とか、Lycophyteなどと呼ぶことをおすすめする)。Atroxylonの維管束はまだ未発達で、茎のみしか涵養していなかった。のちのDrepanocladusやBaragwanathiaは葉まで維管束が通っており、デボン紀前期には小葉植物の基本的な構造が確立されたことがわかる。見た目はヒカゲノカズラそっくりでそうした類縁関係があると目されている。ただしいまのヒカゲノカズラと違って顕著な胞子嚢穂は形成しない。初期のヒカゲノカズラ類はしばしば水生ないし半水生として復元され、事実水辺に生育していたと思われる。ただし、水草として扱うには今一つたりないので、もっと水に適応していそうなミズニラ類とその巨大な近縁種についてみていこう。
3.ミズニラとリンボク類
ミズニラ類、リンボク(レピドデンドロン)Lepidodendronやシギラリア Sigillariaをはじめとするリンボク目Lepidodendrales、その小型版のようでより遅くまで生き残ったプレウロメイア目Pleuromeialesは互いに近縁で、デボン紀後期までには出現が確認できる。しかしその胞子記録はより古くから知られており、リニア門やゾステロフィルム門から直接進化してきたのではないかとする説もある。リンボク目はしばしば水中に根を張っていたと考えられており、水に適応した胞子分散生態を持っていたとも考えられているのでここでは水草として数えてみよう。リンボク目は高さ30m以上に達する植物だが、そのうち10mは直立した一本の塔のような構造となっている。木部や維管束の発達は極めて貧弱で、皮層が充実することによりその径を増した、あるいは径を増さずに太くなってから直接伸びていったと考えられる。根はStigmarian root complexとよばれる。太い二又分岐する根のような構造から、繊細なに叉分岐する細根が無数に生じることにより根を張った。この太い根状の突出物はミズニラ属における茎基部の隆起、細根はミズニラ属の根と構造が酷似し、それぞれ相同であると考えられている。10m以上電柱のようにまっすぐ伸びた茎は先端付近で急に二叉分岐をはじめ、その先端に胞子嚢穂をつけた。この胞子嚢穂は水に浮かぶようにできていたと考えられており、水で満たされた根本に落ちたのちに水に浮かんで漂流分散し、泥底で発芽したと考えられている。上記からすると生育の最初期は沈水葉で育ったかもしれないと思わせるが、残念ながらその証拠は未だに見つかっていないと思う(知る限り)。リンボク目はデボン紀後期に出現し石炭紀に大繁栄したが、石炭期末には早々に絶滅してしまう。リンボク類をはじめとした初期の水辺の森林は岩石の風化を促進し、光合成による消費だけでなく水中への二酸化炭素溶解を早めて大気中の二酸化炭素濃度を効果的に下げたとする説もある。
プレウロメイアや”茎の伸長する”ミズニラ類は中生代まで生き残ったが、中生代の中ごろにはミズニラ類しか残っていなかった。そのミズニラ類も白亜紀末の大量絶滅で壊滅的な被害を受けたようで、現在世界に生育するミズニラ類は新生代にたった一種を由来とするものらしい。そのため現生のミズニラ類はふつう水生だが、中生代のミズニラ類が水の周囲や湿った場所に生えていたことはわかっても、ほんとうに水中に生えていたかは知る限りいまいちはっきりしない。気孔などの観察で分かることと思うので、今後の研究に期待したい。
4.謎に包まれた大葉植物の起源
ここまで話してきた小葉植物・・・ミズニラ類、イワヒバ類、ヒカゲノカズラ類は、その茎も根も頂点での二叉分岐しかせず、現存する他の維管束植物とは根も葉も相同でない可能性が示唆されてきている。植物体の構造はほかの陸生植物とは大きく異なり、それらは収斂進化の可能性が高い。したがって、現在大部分を占める大葉植物の祖先形がどのようなものであったのかは闇の中に包まれている。わかっていることは、デボン紀後期の時点で種子植物的な特徴を一部持つ前裸子植物まで様々なグループが爆発的に出現していたことだ。
5.トクサ類の登場と水辺での長きにわたる繁栄
トクサ目はデボン紀後期には出現した。最初期からその姿をあまり変えていない維管束植物である。最初期のトクサ類であるプセウドボルニアPseudoborniaやアルカエオカラミテス科Archaeocalamitaceaeはすでに巨大な植物で、10~20mもあったと考えられている。石炭紀の森林でかなり大きな位置を占めたロボク Calamitesは現在のスギナを高さ20mにしたような滑稽な姿をしている。その枝は針状で、分離した単体ではアニュラリアAnnulariaとよばれる。ロボクも湿生植物の傾向がつよく、水辺でのみ生育したことがわかっている。小型だが異彩を放つデボン紀~石炭紀~ペルム紀のトクサ類がスフェノフィルムSphenophyllumだ。このトクサ類は現生種とは異なり、幅の広い葉をもっていて、つる性植物だったとも考えられている。石炭紀の時点で現在のトクサそっくりなトクサ類も出現していた。古生代に隆盛を極めたトクサ目だが中生代に入るとトクサ類しか残らず、ペルム紀~三畳紀の抽水植物であるネオカラミテスNeocalamitesに代表される大型化した系統もあったが中生代中期の乾燥化によりトクサ類の分布は水辺に局限されるようになった。水辺においてトクサ類は中生代を通じて一般的なグループであるが、これも新生代に至るまでの間に大打撃を受けたらしい。現生トクサ類もまたミズニラ類と同様に、新生代にたった1種から分岐したものと考えられている。
6.デボン紀後期の水辺の森林
デボン紀後期の水辺の森林を構成したリンボク類、トクサ類を紹介したが、原裸子植物についても軽く触れる。アルカエオプテリスArchaeopterisは水辺に巨大な森林を作った初期の巨大植物であり、NHKスペシャル「地球大進化」でも大きく取り上げられたので知っている人が多いかもしれない。この植物は一見シダのような葉を持っているが、その小葉のようにみえる一枚一枚が葉であるという複雑な枝系だったと考えられている。維管束の構造も裸子植物的である。他にも様々な裸子植物的な形質を持つ維管束植物がデボン紀後期から発見されており、その時点で裸子植物の祖先にあたる系統がすでにあったと考えられる。これらは原裸子植物と呼ばれている。
真正のシダ植物の古生代における化石記録もまた多いのだが、明らかに水生といえるようなものは知らないので割愛する。水生シダ植物は中生代の項で解説する。
7.シダ種子植物と最初期の針葉樹、そして最初のマングローブ
古生代からはさまざまなシダ様の植物が見つかるが、その多くがシダ植物とはいいがたい存在であることがわかってきている。これらはしばしば裸子植物的な巨大な”種子”を形成し、マクロな構造的にも、ミクロな構造的にも花のような構造と花粉のような胞子をもっていた。アレトプテリスAlethopterisなどが代表的だろう。こうしたもののなかで、メデュロサMedullosaは淡水からわずかに塩分の入る湿地で生育したと考えられている、木性シダ様の抽水になりうる植物だった。シダ種子植物、ソテツ類、ベネチテス類、針葉樹類、グネツム類は裸子植物を構成したと考えられる。最初期の針葉樹類としてコルダイテスCordaitesがあげられる。この種はマングローブを構成する植物であったようで、現在のヒルギ類に似た気根を形成し海岸付近の若干ながら塩分の混じる水域に群生していたと考えられている。
中生代の水生植物
1.中生代の植生
中生代の植生はペルム紀迄の影響を強く受け、乾燥化が進んでいくもののある程度の湿度が保たれシダ植物が反映した三畳紀~ジュラ紀中期、乾燥化が進んでいき乾燥耐性の強いケイロレピディア科Cheirolepidiaceae裸子植物やソテツ植物、一部のベネチテス類が優占する熱帯~亜熱帯と湿潤かつ温暖なシダ植物や落葉性裸子植物が優占したジュラ紀後期~白亜紀前期、爆発的に被子植物が増加して裸子植物の多くを駆逐し、熱帯雨林ができはじめたりするなど現在の気候や植生ができあがっていった白亜紀後期、にわけられるだろう。水草は前半において非常に少ない。特筆すべきは白亜紀前期のことであり、被子植物の多様化も水辺で始まった。ただし、古生代後半と比べて概して化石的証拠が少なくぱっとしないのが中生代であり、巨大な植物食動物の知名度とくらべて当時の植物には未知の部分が非常に大きい。植物体全体を復元できるものすら、ごく僅かしかおらず、中生代の植生は実質的に絵に描くことができない。白亜紀前期までの中生代を通じて支配的であったケイロレピディア科やベネチテス目、木本性のですら満足のできる復元ができるものは皆無であるといってよく、葉と幹の組み合わせがわかるものは数種だけだ。殆どの復元はバラバラになったパーツ群をありそうな、見つかっている組み合わせでなんとか無理くりつなぎ合わせたものでしかなく、その枝ぶりや幹と葉の組み合わせは多くが想像に頼っている。
2.トクサ類とシダ植物、あとコケ植物
中生代を通じてトクサ類は水辺に豊富である。ミズニラ類も多く見つかり、化石こそ少ないもののヒカゲノカズラ類の胞子化石は豊富である。
いまいるようなシダ植物は石炭紀にはシダ種子植物に埋もれていたが確かに存在していた。中生代の時点で広義ウラボシ目を除くグループがだいたい出現しており、ゼンマイ科、フサシダ科、ウラジロ科、マトニア科、ヘゴ科、ヤブレガサウラボシ科などが湿った地域に繁栄していた。ディクソニアは中生代からも知られるが、ジュラ紀後期から白亜紀前期の種は水辺に見られたようで、また必ずしも現在のように木性ではなかった。
デンジソウ科はRegnellitesに代表されるように白亜紀前期頃から少なくとも見つかるようになる。中生代のデンジソウ類はRegnellidiumに似た2枚葉だった。サンショウモ属やアカウキクサ属も白亜紀には出現している。しかしそれも白亜紀のこと。それまで水辺にいる維管束植物といえば抽水性のトクサ類やミズニラ類程度だったと思われる。
コケ植物の化石記録は少ないが、三畳紀のNaiadita lanceolataは水生コケ植物である。
3.裸子植物のマングローブ?
シダ種子植物は中生代になるとめっきり少なくなり、カイトニア目Caytoniales、コリストスペルマ目Corystospermales、ペルタスペルマ目Peltaspermalesしかのこらなかった。コリストスペルマ目のPachypteris papulosaはその分厚い葉から塩性湿地に生えるマングローブ植物だったと考えられており、二分岐を繰り返す枝に長大な複葉をつけた。さらにこの植物はおそらくケイロレピディア科針葉樹のBrachyphyllum crucisとともに見つかることから、混生して裸子植物のマングローブ林を作っていたかもしれない。裸子植物の塩性湿地への適応としてはほかに、虫媒も示唆される特殊な針葉樹であるケイロレピディア科のFrenelopsis ramosissimaが取り上げられる。しかしこれに関しては否定的証拠もある。厚い多肉質の葉は塩性湿地だけでなく乾燥への適応でもあり、沿岸地帯はしばしば乾燥することに注意は必要だろう。
いっぽうで、裸子植物は知られる限り水中には進出せず、中生代の長い間の水中は古生代と変わらず、シャジクモ類が支配的だったとみられる。しかも卵胞子以外の化石記録がろくにない。(卵胞子は豊富で、時代を決めるのに使われるくらいだ(示準化石))
4.白亜紀前期、突然出現し陸上に先行して広がった沢山の水草たち
分子系統的に被子植物の水生起源説は否定されがちだが、しかし化石記録からは初期の被子植物が水辺からまず分布を広げていったことは明らかである。最初に出現する被子植物はバレミアンのスペインから産出した根を欠く沈水植物であるモンセキアMontsechia vidalii(マツモ科?)で、次もバレミアンの中国から産出し、水生植物が示唆されるアルカエオフルクトゥスArchaeofructus、そしてそれに続くアプチアン期にはニムパエイテスNymphaeites、ネルンボNelumbo(ハス科)、”Ranunculus”(キンポウゲ科??*R. ferreriはバイカモ様)、Protaephyllum(分類不詳)、Hydrocotylophyllum(分類不詳)、ノトキアムスNotocyamus(ハス科)、ジャグアリバJaguariba(スイレン科)、オロンチオフィルムOrontiophyllum(サトイモ科?)、Plantaginopsis(分類不詳)Alismaphyllum(分類不詳)Vitiphyllum(分類不詳)、Menispermites(不詳)、Spixiarum(サトイモ科?)、Pseudoasterophyllites(マツモ科?)、Pluricarpellatia(ハゴロモモ科)・・・と、水草ばかりといっても過言ではない。水辺の植生は最初に被子植物によって占領されたと考えられている。そして陸上においては、水辺にやや遅れて被子植物が増えてくる。そして、この爆発的な多様化イベント以前からは被子植物の化石が一切出現しない。これに関しては、初期の被子植物が洪水直後のような撹乱環境を好んでいたため、そうした環境に生育する湿生・水生植物から多様化が始まったとする意見がある。同様のニッチを狙う戦略をグネツム類もとったようで、嫌気性の他の植物がみられない沼地から多くのグネツム類が見つかっている。そうしたニッチからして潜在的には、水草としてのグネツム類が将来的に見つかるポテンシャルがかなりある。マオウやウェルウィッチアなどのグネツム類の多様化も、被子植物とほぼ同じか、それに僅かに先行して行われていたが、被子植物に負けてしまったものと思われる。ただし白亜紀の一部の「水草」がじつは水生グネツム類ではないかと書いている文献もあるため、断定的なことは非常に言いにくい。奇妙なことだが、シダ植物のサンショウモ科やデンジソウ科の水への進出も同じ時期である。
短いターンオーバーが可能な草本であったためそれまでの木本やシダ植物などと違い短期間で殖えられたのが被子植物の利点ではないかとする意見があり、白亜紀中期の極端な気温上昇とCO2上昇(最大で1800ppmに達し、これは人間が二酸化炭素中毒で眠気を催すレベルを超えてしまった)によっておきた様々な天変地異による既存の植生破壊や、同時期に出現した鳥類(アプチアンの時点で水かきをもつ水鳥が多かったことが足跡化石からわかっている)の爆発的放散は被子植物に有利に働いたことだろう。
白亜紀後期には今見られるような水草の一部がすでに見られていた。スイレン科、ハス科、ガマ科、サトイモ科(Orontium)などが挙げられる。もちろん今では絶滅したグループもあり、QuereuxiaやHaemanthophyllum、Limnobiophyllum(サトイモ科)、Cobbania(サトイモ科)、水生シダでサンショウモとシダをつなげたようなHydropterisなどが挙げられる。陸上植物も被子植物が支配的になっており、水中も陸上も現在につながる植生の基礎は白亜紀中期にできたと考えられている。しかしながら白亜紀は化石が保存されにくい時代で産出状況がバレミアン―アプチアン以降かなり悪く、次に非常によい化石が見つかるようになるのは鮮新世になってからのことである。そのためその間に具体的にどんなことがあったのか、よく言われる昆虫の多様化との関連などは謎が多い。なお私の観測では昆虫の多様化の方が先行しているような気がしてならないのだが…
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新生代の水草に関しては現在につながるグループの話が多いので一旦後にします。
ただ、アゾライベントについては触れておいた方がいいかもしれませんので、各自検索して自習してください。