みなさんお楽しみの「世界の珍妙水草」シリーズです。今回は、身近な植物に近縁ながらもどうしてこうなった??という、イネ科を紹介しようと思います。
日本人にとって馴染み深いイネ、およびイネ属Oryzaは、熱帯の雨季と乾期に劇的に水位が変わる環境に特化した、まごう事なき水草といえます。イネを栽培していて、よく思うことがあります。「イネは沈水できるのか?」と。
結論から言えば、現状では否と考えています。イネを深い水深に蒔くと、CO2添加が多くとも少なくとも結局水面に到達できなければ枯れてしまう…というのが私の試した限りでの感想です。浮稲や一部の野生イネのように水面を突破するまで激烈な成長が見られるものや、逆に一部の野生イネや一部の洪水耐性稲のように成長をピタリと止めて耐え凌ぐものはあれど、沈水状態で旺盛に生育するイネ属は今の所、私の耳には入ってきていません。
では、イネ属の近縁属ではどうでしょうか?
その作物種が無理でも、近縁な他属の遺伝資源を利用することはよく行われ、例えば小麦では根の水没に耐えるミズタカモジの遺伝資源が注目されて、ハイブリッドが作られたりしています。(実用化には至っていませんが…)
将来的に工業的な栽培を行うにあたり、「沈水できるイネ」いや、沈水で旺盛な生育を示すイネ」は大きな需要があるはずだと確信しています、しますよね(強制)
↑私が見たいだけである。
イネ属Oryzaに近いものといえば、かつてイネ属に含まれていた数属やヒグロリザHygroryza、マコモ属Zizania、あとはサヤヌカグサ属Leersiaあたりでしょうか。そのなかに沈水性のものがあれば、もし物好きな人がいれば細胞融合等によって沈水イネを作出でき、将来的に水中で工場的にイネを培養できるかもしれません。ヒグロリザは浮くイメージが強いですが、全ての水上部が刈り払われると一時的に薄く繊細な沈水葉をだして生育します。これはイネ科としては珍しい明瞭な水中異形葉ですが、旺盛に生育する、というのとはまだずれているでしょう。サヤヌカグサ属はまた後にするとして、マコモ属はどうでしょうか?
マコモといえば日本人にもお馴染みの植物で、種子は菰米として日本においても中国においても古代から利用されてきた植物です。その後マコモダケが利用されるようになり、今ではそちらの方が有名ですが…。北米では近縁種のZizania aquaticaとZizania palustrisがネイティブアメリカンにより古くから採集利用され、こちらは現在もワイルドライスとして利用されています。
さて、これらマコモ類は抽水性植物として水辺に茂っているイメージがありますし、野外でも抽水性で見かけることがほとんどです。しかし日本のマコモにおいてすら、なんというか沈水ポテンシャルがあるのではないか?という気がしないでもありません。マコモは下流域の泥底に出てくるイメージが強いですが、見ていると湧水の影響をかなり強く受ける場所にも分布のピークがあり、しばしば最優占種となります。そうしたところでは、湧水による何らかの恩恵を受けてマコモが優占しているのではないか?とすれば実生の沈水生育では?と、思ったこともあります。しかしながらマコモの実生栽培は種子が乾燥に弱いため保存が難しく、収穫適期が短く、種子の休眠が強いことからなかなか難しく、当方では思うように実証実験をできていません。さらに実生のマコモを野外で識別することもなかなか難しいことから、野外観察でも謎のままでした。
ワイルドライスは一年生で、しかもマコモ並みかそれ以上に深い水深から生えてくることから少なくとも止水におけるかなりの水没耐性は持っていそうです。しかしながら、私の調べた範囲ではワイルドライスにしても、マコモにしても、水中での良好な生育を示したという報告はなく、あくまで抽水性植物としての扱いでした。
しかし北米には、なんと開花結実以外を水中で完結させるマコモが存在します。
それが今回紹介する、Texas Wild Rice テキサスワイルドライス Zizania texanaです。
テキサスワイルドライスは英語圏ではそこそこ知名度のある植物らしく、英版Wikipediaが大変充実しています。しかし日本語の文献でこの珍妙な水草に触れたものは見たことがないので、耳慣れない方がほとんどでしょう。
この種を初めて見つけたのはテキサスの弁護士でアマチュア植物学者でもあったW. A. Silveusであり、1932年に見つけた当初はノーザンワイルドライスZizania palustrisと考えたようです。しかし記述にあるものとは異なり川幅40フィートの急流の流れる川底に1~4フィート沈水して生育していました。水位が急に上昇して草が水没したとすれば理解できる状況でしたが水位は常に高い環境であり、流れの周囲にも抽水性の個体は見られませんでした。また彼は葉は長さ5フィート、幅は基部で8~10㎜、上部で15~20㎜、花の付いた部分は1~2フィート水面から突出して生育し、水のない部分では茎は鋭く屈曲してときに節から発根していたと記しています。その後花期が4月から11月にもおよぶことを発見しています。これらの内容を記した手紙と草体の生態写真はA. S. Hitchcockに送られ、1933年にHitchcockにより記載されました。
本種はエドワーズ帯水層に灌流される、サンマルコス川の上流域に生育します。湧水の影響で水温は年中20度前後(8月で25.5度、2月で20.4度)、水源が石灰岩を通過することからpHは7.4~7.9と弱アルカリ性のようです。沈水状態で発芽生育し、幅15mmほどの葉は長さ1m、茎の長さは数メートルまで成長し、切藻増殖します。日本のマコモに慣れていると意外ですが、マコモ以外のマコモ属はこの種以外は全て一年草であり、切藻増殖して多年化するのは湧水への適応により獲得した形質であるのではとも連想されます。かなり深いところにも生育できるようで普段は水中に生育し、水面まで到達することすらあまりないようです。そのため、水位が減少したタイミングで水面に花をあげて開花します。このような湧水依存の生態を身につけたのは豊富な湧水量によるものと思われますが、地下水の灌漑により湧水量が減少し、発見当初こそ大繁茂して灌漑の障害となったもののその後激減し、1970年にはほぼみられなくなりました。1976年に2.4㎞の範囲で再発見されたものの、いまも3km程の範囲にしか現存が確認されていません。
個人的には、1978年の調査でPotamogeton ilinoensisやVallisneria americana、Sagittaria platyphyllaが同所的にみられたのは当時現存していた2.4㎞のうち上流端の0.4㎞であり、下流側の2㎞ではテキサスワイルドライスが優占種となっていたことはきわめて興味深いです。というのも、イネ科植物が湧水で優占するのは通例は湧水の最上部であり、トチカガミ科やヒルムシロ科の沈水植物は一般的にその下流側で発生するのが通例のように思われるためです。イネ科においてここまで湧水に依存し、生育期間のほとんどを沈水状態で過ごす種はほかに、パッと頭には浮かびません。
本種はいまのところ生息域においてはかなり大きな現存量がありますが、その生息域は極限され、地下水利用が止まらない限り湧水量は減り続けることでしょう。
この変な水草が残り続けてくれることを願います。いつか農業の役に立ったり…しないかなぁ。