ここ最近、ヘラオモダカの話をよく見かけるので便乗してみる。
ヘラオモダカは極めて変異が大きく、殆ど線状の葉をもつものからかなり幅広の有柄の葉をもつものまで、サイズも掌に載るような個体ばかりのところもあれば、50㎝を超えるのが基本といったところもある。花弁の色は白と思いきやピンクだったりするし、葯の色も黄色と言われがちだが、地域によってはそうでないものがぽつぽつみられたりもする(ホソバやトウゴクに当てはまらないものであっても)
奇妙なことに、日本語圏においてヘラオモダカとサジオモダカの違いについて書いてある文献やサイトは数あれど、どこを見ればヘラオモダカAlisma canaliculatumと同定できるかについて書いてある資料は驚くほど見当たらない。
あれほど変異が大きいヘラオモダカであるから、何かしらの定義をもっておかねばなるまい。日本に分布するのがヘラオモダカとサジオモダカだということが前提であるが、もし仮にそうでなかった場合、どのように対処すればよいのだろうか。ないことを証明することは非常に難しい。もし私がどこぞの水田に行ってAlisma gramineumを見つけてきたとしたら、葉および花では区別がつかないので日本中の”ヘラオモダカ”を再検討しなければいけないことになってしまう。そして水草の移動能力を考えると、そういうことは簡単に起こりうる。何なら今週末にでも見つけてしまう可能性だって十分にあると思いながら探している。
さて、他のAlismaと比較したときに広義ヘラオモダカおよびトウゴクヘラオモダカの特徴は
「種子の背面に1本の深い溝が走る」
ことである。トウゴクヘラオモダカは花茎の分岐がAlismaの中でもとても独特なので、これを合わせるとやはり区別可能である。
他のAlismaはサジオモダカ類(広義Alisma plantago-aquatica)で1本を主とする中に2本が混じり、ヘラオモダカに類似した葉をもつその他の種類では浅い溝が2本とされる。
つまり、ヘラオモダカ様の葉を持つことを確認したら葯の色より先に果実の溝の本数を確認せよ、ということである。葯の色は(欧米では葯の色を同定形質として重視しないので知る限りであるが)海外の類似種でも黄色のことが多い。
しかし、サジオモダカ類にも葉が細い個体群ないし種がヨーロッパなどで知られており、その場合では種子の縦溝だけでは判断しにくくなる。両者は花序の分岐が異なっており、サジオモダカの花序の方が長くダラダラと伸びよく分岐する。ヘラオモダカの花序は先端が散形花序となるはずである。但し例外もあるので、このようなイレギュラーが日本に実在するのならば改めて同定形質を吟味する必要があるだろう。
ここまで、ヘラオモダカ、ホソバヘラオモダカ、アズミノヘラオモダカをあえて区別せず、一緒くたに扱ってきた。これは上記した日本のヘラオモダカ類はすべて同じ組み合わせの異質倍数体〔4倍体〕であるためである。さらに、ヘラオモダカに関して言えば上記した組み合わせに加えて、さらにサジオモダカと交雑した6倍体個体群も存在する。
したがって、ヘラオモダカと言われている雑多な交雑起源個体群の中で特徴が際立っている個体群がホソバヘラオモダカおよびアズミノヘラオモダカと呼ばれている・・・ということである。
ヘラオモダカ問題をさらに厄介にしているのが、ヘラオモダカ、ホソバヘラオモダカ、アズミノヘラオモダカ、トウゴクヘラオモダカの両親種がすでに絶滅しているとみられる点である。Jacobson & Hedrén, 2007はトウゴクヘラオモダカを絶滅した親種(未知の種Xと書いておこう)とA. gramineumの雑種起源、ヘラオモダカを未知の種Xとサジオモダカの雑種を起源とするとし、Ito & Tanaka, 2023はトウゴクヘラオモダカおよびヘラオモダカ、ホソバヘラオモダカ、アズミノヘラオモダカが未知の種どうしの(XとYと呼称しよう)交雑を起源とし、さらにヘラオモダカにはそれらとサジオモダカを起源とする6倍体個体群もいるとし、4倍体ヘラオモダカにも交雑起源の異なる複数の個体群がいるとしている。いずれの研究も、両親種に相当する既知種を発見できていない。
上記のことから、日本には(もしもすべての種が健在であるとすれば)
未記載種X
未記載種Y
サジオモダカ
(X×Y)×2=4倍体ヘラオモダカ、アズミノヘラオモダカ、ホソバヘラオモダカ
(X×Y?)×2=トウゴクヘラオモダカ
が生息しているはずで、さらにそれに加えてA. gramineumがいる可能性がある。A. gramineumはユーラシアおよび北米に広く分布するから、日本にいない方が分布上、不自然である。
また、未記載種Xとサジオモダカの雑種起源種や、未記載種Yとサジオモダカの雑種起源種、さらにA. gramineum関連交雑種がいる可能性もある。
それらの形質は不明だが、交雑種からある程度伺い知ることはできるだろう。トウゴクヘラオモダカとホソバヘラオモダカが紫褐色の葯を共有することは、示唆的である。
最後に、日本に生息するはずのヘラオモダカ類はまだ何もわかっていないも同然の状態であり、”色々いる”ヘラオモダカは”色々な個体群がいる”のであって、”様々な形になりうる”のではないのだろう。現状では多様なヘラオモダカ類雑種起源種のうち、”とりわけ奇妙な個体群だけ区別されている”状況である。
そうした違和感を拾い上げて整理し、6倍体個体群や複数の4倍体個体群に関して同定形質を探すことが望まれる。
このように、ヘラオモダカに関する研究はまだ黎明期である。
最後に、このような”謎しかない”植物には保全が必要であることを付記しておく。
湿地帯の破壊がすさまじい昨今であるが、そのままでは謎が謎のまま失われてしまう。
”ヘラオモダカ”全体としては割とありふれた植物であるが、それに未知の希少な隠ぺい種が複数含まれている可能性には留意するべきだろう。
Jacobson, A., & Hedrén, M. (2007). Phylogenetic relationships in Alisma (Alismataceae) based on RAPDs, and sequence data from ITS and trn L. Plant systematics and evolution, 265, 27-44.
Ito, Y., & Tanaka, N. (2023). Phylogeny of Alisma (Alismataceae) revisited: implications for polyploid evolution and species delimitation. Journal of Plant Research, 1-17.