水草を観察していると,疑問に思うことがある.
果たしてこの透明度で光合成できているのか?ということである.
水中の濁りが激しく,何も目視できないようなところでも水草が生えていることがあるし,アオミドロやウキクサ類をどけてみると下に茂っていたりもする.
こういう育ち方をする/できるのはエビモやイトモ,ツツイトモ,スブタ,ミズオオバコ,コウガイモといった沈水植物が多いが,これらは相当な低光量でも生育できるはずである.
したがって,これらの沈水植物が激減した要因を単に「透明度の低下」で片づけてよいかどうかは疑問がある.
個人的には以下のような説を考えている.
水草自体は低光量に耐性があるが,実生苗はそうではない.つまり発芽初期にはある程度の光が必要であって,深くて暗い水域に茂っているものはそこからランナーや切れ藻で伸びていったか,もしくは水位の方が上がったためではないか.つまり遠浅な水底と季節による水位の変動が”沈水”植物においても重要なのではないかなと思ったりする.
ところでガシャモクなどが栽培下で調子がいいのも,もしかするとたんに明るくて栄養豊富だからかもしれない.LEDライト下であってもなお,そこらの濁った池の底よりは明るい可能性もあるように思う.要検証である.
さて,ガシャモクに関する考察は長くなるので別稿にまとめるとして,そもそも濁りを水草は抑えるのだろうか?
私の感想では,否である.水草はアレロパシー効果を持っており,植物プランクトンや付着藻類に対してある程度成長を抑制することができる.しかし水草がいくら茂っていようが栽培容器が濁るときは濁る.濁らないのは単に”水が立ち上がった状態”で,水草が水中の肥料をだいたい吸いつくして,かつアレロパシー効果が発揮されたときである.(まあ水草はそういう条件になるまで肥料を吸いつくしてもなお根から肥料吸収してまだ茂れるのが藻類に対する強みだろう)
濁りの決定要因は水草ではなく,動物プランクトンとバクテリアだろう.”水が立ち上がった”フィルターを付けた水槽ではフィルター内の暗い条件下でバクテリアによって植物プランクトンが成長阻害もしくは活発に分解されるのではないかと思う(でないと説明がつかなそうな気がする)フィルターのない野外水塊でも水草の森に付着したバクテリアが植物プランクトンの分解に一躍買っていそうな気はするが,(これを,水草のろ材説と呼んでみよう)正直どこまで影響があるかは未知数だ.屋外栽培容器を見る限りではある程度はありそうだけども.
(水槽ではなく)屋外の止水域において,濁度を決定する最大の要因は動物プランクトンだと思っている.
透明度の高い水域はほぼ,水深の深い湖に限られている.逆もだいたい然りである.こうした水域ではミジンコ類やヒゲナガケンミジンコといった多くの動物プランクトンが魚の活性が上がる昼間は光の届かない深い水深まで鉛直移動していることが知られている.こうした鉛直移動による魚の捕食からの回避が深い貧栄養湖の透明度を支えていると思われる.
富栄養水域においては動物プランクトンも多く見られるが,透明度を下げるほど大繁殖すれば魚の餌食となってしまう.さらに,いったん富栄養化が進んだ水域では底に堆積した植物プランクトンによって貧酸素水塊ができ,このことによって鉛直移動も障害される.植物プランクトンによる濁りは餌であるとともに隠れ蓑でもあるため,魚が過剰量いる限り水を澄ませることは不可能に近い.しかし魚の少ない富栄養な水域,たとえば水田や一時的な水塊では濁りはさほどひどくないことが多い(魚を入れていない水鉢も然り).
さて,水草が動物プランクトンの隠れ蓑に果たしてなりうるのか?正直言ってそこまでではないように思う.ミジンコ類はむしろ開けた水域の方を好むし,水草を入れるとあまり飼育が上手くいかない(あくまで経験則上だが).オカメミジンコやシダ,シカクミジンコはじめ水草にくっつくミジンコ類も多いが,開けた水域でみられるミジンコ属などの圧倒的なバイオマスはあまり見たことがない.もっと目立たない,ラッパムシやツリガネムシといった繊毛虫,またヒルガタワムシ類などといった水草に固着する生物の影響も大きいかもしれない.これらの生物も莫大な増殖率をもち,水草の表面に”生える”ことによって水中の植物プランクトン濃度を下げている可能性はあるだろう.魚類の進出を阻むものとしての水草の水質浄化効果はかなり期待できそうかなと思う.
うーん,それでもやはり水草が水を澄ませているかどうかに関しては自信がない.
水底に単に堆積した植物プランクトンは容易にヘドロと化する.これは水草の生育にはあまりよくないと思われる(経験則だが).しかし植物プランクトンが片っ端から動物プランクトンに採食され,分解が進んだ状態で堆積すれば,よい底床肥料となるだろう(要検証だが).となると水草が貧栄養湖の砂底で(いまも)良く茂っているのは,原因ではなくむしろ結果ではないか?ということも考えられる.まあ双方向的な面はあるだろうけれども….
色々考えてみても,実際の状況を見ての感想でも「水が澄んでいると水草はより良く育つ」が,「水草がよく育つと水が澄む」かどうかはいまいち微妙である.ただ水草の群落がある環境下では魚による捕食圧が下げられ,多くのグループの生物が生息できることに関しては疑いようがないだろう.
そして,一旦水草が消失し,ヘドロが堆積して魚と植物プランクトンの世界となってしまった水域の透明度改善や生物多様性の回復は非常に難しいと思われる.少なくとも飼育下での小水域をみるかぎりでは植物プランクトンによる水の濁りの根本原因は動物プランクトンを食べる魚が過剰にいることであろう.稚魚が育たなくなって個体数が減っても「なんてこった減ってしまった,放流しないと」というのが魚に対する人間の扱い方なので,環境悪化が個体数にフィードバックされることがほぼない.これではいつまでたっても崩れたバランスが改善するわけがない.
しかしながら,透明度の改善のために水域の魚を減らすことに地域の共感を得られるとはとても思えない(そもそも減らせるか?).水質改善のスローガンが「鯉の泳ぐ...」だったりすることからしても,なかなかに絶望的だろう.