水草オタクの水草がたり.

水草を探して調べるブログです.素人ながら頑張ります.

水生サトイモの話

水草が好きというと,クリプトコリネやらブセファランドラやらアヌビアスやらラゲナンドラやらホマロメナやらをよく勧められる.今回はそんな,水生サトイモについて語っていこうと思う.サトイモ科はいいぞ.

よりによって何を突然言い出す.いまさらどうした?気でも狂ったのか?

やはり日陰に生える草は私には性に合わないのである.同様の理由で,シダ系にもあまり興味はない(ケラトプテリスやサルビニアは大好物だが).

なので今回の記事はこんなタイトルにしておきながら,クリプトコリネもブセファランドラもラゲナンドラもアヌビアスも登場しない.今回話題にしたいのは,食卓に並ぶあの,「里芋」である.サトイモはいいぞ.いや,里芋はいいぞ.めっちゃいいぞ.

里芋?田芋?タロイモ

「里芋」は「山芋」に対する意味で用いられているが,同時に水田で栽培する「田芋」との対比的に使われているような印象は否めない.のちに述べるように「里芋」「田芋」の概念は不可分であるし,また東南アジア一帯に栽培されるタロイモの一部分を「里芋」「田芋」と呼んでいるに過ぎないことから,本稿では基本的に里芋と田芋を合わせてタロイモと呼ぼうと思う.(これ以降,途中で里芋ではなくサトイモと書いていたら誤記である.)山芋に関してはそこまで述べないと思うが,同様にヤムイモの一品種であり東南アジアとの繋がりが大きいので,以降ヤムイモ,山芋と呼称する.

 

里芋の魅力

「里芋」という植物が熱帯原産であることは言うまでもないが,この植物が本来は水生植物であろうことは日本においてはあまり知られていない.また,熱帯地域を原産とするにもかかわらず越冬器官である芋を作ることもまた,非常に奇妙な事実であるし,それには何かしらの選択圧が働いていたとしか思えない.またこの作物の異常なまでの品種多様性はまさにカオスでありとっつきにくいことこの上ないが,逆に言えば深堀りすればまだ見ぬ世界へと求道者を誘うことだろう.今回は日本における,水生の栽培・野生種について的を絞ることにする.海外のものを扱う際には別記事を建てたい.

里芋はなぜ芋を作るのか

 そもそもなぜ熱帯原産のタロイモが芋をつくるのかと言う点についてザックリ述べておくと,インドシナからインド北部にかけての高冷地への適応ではないかと言われている.この地域は最近注目を集めている(どこで?)耐寒性のバナナ類など,熱帯植物でありながら低温への適応を遂げたものの多いフロンティアである.事実,ネパールにおいてタロイモ野生種を調べた吉野(1975)によれば芋状の地下部をもつタロイモ野生種は標高1000m以上に多かったとしている.このような性質は実際耐寒性を持つうえでわりとうまく機能しているようで,タロイモ文化圏の北限である日本においても氷点下を下回る関東地方や山陰地方,長野などにおいて野生化したタロイモ(蘞芋品種群,えぐいも/えごいも)が湿生~水生植物として自生しており,弘法大師の石芋伝説との関連から石芋や弘法芋と呼ばれている(要約すると,弘法大師が芋を分けてくれと頼んだ時けち臭い老婆が「この芋は硬くてまずいから渡せない」といって拒否したところ本当に芋がカチカチになってしまい,仕方がないので捨てたら生えてきてずっと生えているのだ,というもの.いまいち釈然としない伝承だがなぜか日本中にあるらしい).なお,石芋伝説がクワズイモであるという説もあるが,クワズイモサトイモに比べて耐寒性が弱く,ほとんど琉球諸島においてしか見られない.そのためおそらく「食えない芋」から連想された俗説の類ではないかと私は思う.

日本における野生化里芋

 本州におけるこうした野生化タロイモは熱帯植物であるにもかかわらず氷点下を切る地域に自生して生き延びている,とはいったものの,どこにでも生えられるわけではない.たとえば長野では温泉の影響で結氷しない地域に生えているという.但し栽培下においては鉢植えでマイナス2~3℃は耐えるとのことであり(青木,1978),タロイモ類が殆ど開花結実せず栄養繁殖に頼っていることも合わせると,過去最も気温が下がった時に耐えられたかどうかで現在の分布が決まっているのではなかろうか.亜熱帯気候である沖縄県では興味深いことに,北部の種子島~沖縄と南部の八重山諸島とで異なった野生化タロイモ類が自生している.種子島~沖縄の野生化タロイモは沖縄青茎と呼ばれる特異な品種群であり,八重山諸島の野生化タロイモはタイやインドネシアタロイモと関連が深いらしい.そして面倒なことに,同じように水辺で栽培されている田芋とこれらは直接の関係性はないと思われる.琉球列島の,いや琉球王国における農耕文化がどのような歴史的背景であったのか,非常に考えさせられる現象である.

家芋から里芋へ

 さて,どうしてここまで広くに(食用に適さない上に中途半端な耐寒性の)タロイモ類が,しかも相当古くから,特殊な環境だけに野生化しているのかといえば,タロイモが現在とは異なる気候の時期に日本にもたらされたためと考えられる.奈良時代にはタロイモ類は既に主要な作物であり,稲作以前にもたらされていた作物であると考えられている.つまりタロイモ類は(縄文海進に代表されるように気温が現在より2~3℃高かった)縄文人が日本に持ち込み,その末裔が偶々条件の整った地域に残存しているのだろう.また,奈良時代から平安初期にかけては現代並みかそれ以上に気温が高かったため,タロイモ類の生産には有利であったと思われる.そもそもタロイモ類は重量が重く傷みやすいために,税収として納めるには向いていない.そのため自給自足用に慣行的かつ粗放的に,てきとうに家の裏などに植えられていたのであろう.古代日本における農業形態が現在の東南アジアにおいてみられるものに近かったと仮定しても,この扱われ方の推測は矛盾しない.さらに,平安時代までのタロイモ類の呼称が「宇毛」および「家芋 いへつうも,いへいも,いえいも」であったことは生活と里芋が一体化していた傍証として象徴的である.しかしながら平安時代はその後,どんどん気温が下がっていく.平均気温は2度以上さがったとする説もあり,現在よりも寒冷となった.タロイモ類の種イモは氷点下では維持できないため,生産は壊滅的な打撃を受けたはずである.粗放的に栽培できるタロイモ類が作物として生産できなくなり,麦や粟,ヒエなど他の自給自足作物に頼るほかなくなったことは平安時代の農業改革である施肥の一般化や二毛作などに影響を与え,慢性的な貧困によって社会の混乱と源平合戦に代表される動乱を招いたと考えるのは,物事をイモ中心に考えすぎだろうか?そして再び少し気温が上がり始めた鎌倉・室町時代になると,タロイモ類の名前は「いへいも」に代わって,「里芋」が使われ始める.これは自給自足の作物であったタロイモ類が気候変動によりその立場を追われ,そして再導入されるに至った気候変動史を物語っているのではないか.これもまた,私の妄想である.本当かどうかは歴史学に任せる.私の専門は歴史学でも農学でもない.

畑作か?水田か?

野生化里芋が基本的に水辺を好むことを考えれば,おそらくそれを陸に挙げているのはよっぽどな理由があってのことである.興味深いことに,タロイモ文化圏の北限たる日本における里芋生産は畑作が中心であり,戦前までは焼き畑耕作による移動耕作が行われがちであった.焼き畑を行う原因としては連作障害があげられるが,これにはセンチュウやコガネムシといった害虫の影響が大きい(水田での田芋栽培では知る限り焼き畑はしていない).日本で栽培されている品種は陸の方が好きだからだと,思っていた.しかしながら現在栽培されている畑作用の里芋であっても,水耕栽培したほうが生育も虫害も少ないという意外な実験結果が得られている.それを踏まえて,再考してみる.日本におけるタロイモ類の水田栽培は南西諸島などの温暖な地域にほぼ限局されている.水田栽培のほうが寒さに弱く,嫌気性の泥の中で芋が腐ってしまうからではないかというのが,私の推測である.他にも水生か,畑作かについての疑問はある.南西諸島では畑作の里芋(チンヌク)よりも水生の田芋(ターム)の方が好まれているが,これは単に水条件の悪い環境における代替品なのだろうか.このあたりはよく知らない.

日本における水生里芋

日本においては水生の里芋類作物を田芋,水芋,川芋と混同して読んできた.こうした栽培方法に関する紛らわしいネーミングは,その品種の系統的位置や性質や,なにより食味と一切関連しておらず,オタクだけでなく消費者にとってもありがたくない.

品種名としてもみがしきと溝芋,溝芋と水芋なども音や利用法が紛らわしく,混乱が生じている.さらに「ずいき」のように利用方法を指して呼ぶ呼び名もあり,里芋の呼称はまさにカオスである.そのため,今回は地域名と一般的な呼称を併記した.

蘞芋(本州)

三倍体.葉身は暗い緑,葉縁は細かく波打つ.葉柄はオリーブグリーンで,頸部は僅かに暗い赤色を帯びる.親芋は平たい球形または楕円体,子芋は倒卵形.親芋はえぐみが強くなり食用に適さなくなるが,子芋は僅かに柄組があるものの食用となる.日本の品種群での中でももっともよく開花し,また全国各地にユニークな帰化個体が生息する.品種によってはかつて水芋と呼ばれたものもあるようであり注意を要する.

石芋/弘法芋(本州,四国,九州)

三倍体.蘞芋群の野生化個体である.子芋の形態が異なり,細長い棍棒状となるものが多い.本州でみられる帰化個体の多くはランナーを持たない.野生化した長野県青木村沓掛のものが有名であるが,他に様々な地域に伝承および生えていたとする話が伝わっている.(現存する場所は僅かである)親芋および成長するとえぐみが強くなり食用に適さなくなるが,時期を選んだり,あく抜きをして食用に供することはできたとのことである.弘法大師信仰から手厚く保護されてきたものが多い.

川芋(八丈島

恐らく三倍体,蘞芋群の野生化個体と思う.八丈島の渓流に生育する野生化個体である.短いランナーで増殖することで他の蘞芋群とは異なる.ぼかして書いているのは「八丈島の蘞芋群の野生化個体」と「八丈島のランナーで増殖する川芋」が本当に同じものなのか,個人的な確証が得られていないためである.

からとり芋/山形田芋(山形)

2倍体.親芋および芋がらを食用にする.水田で栽培するタロイモ類としては北限に近い.品種としては唐芋群に属する.からとり芋の茎は濃紫で,唐芋群らしいものであるが,二次的に青茎になったものも栽培されており注意を要する.沖縄や八丈島の田芋類と混同されがちであるが,別系統の栽培種である.

田芋(白茎)(沖縄)

2倍体の親芋を用いる品種.日本で最も生産されている水生里芋である.沖縄における田芋に関しては信頼のおけそうな情報が不足している.この品種が何群に属するのかご存じの方がいらっしゃいましたら教えていただきたい.田芋と称される品種にも様々なものがあるため,難しいところである.収良に優れる白茎の生産が多く,赤茎は稀である.栽培可能北限は薩南である.親芋を利用する品種ではあるが子芋も食用になる.上下を切り落とし,煮てから出荷される.これは生芋が痛みやすく,えぐみがあるためにあく抜きなどの手間がかかるためである.

田芋(赤茎)(沖縄)

2倍体の親芋を用いる品種.南城市で出荷されるが,非常に少ない.歴史事情についてはこちらで書く.沖縄における田芋の記述は18世紀からあり,当時から正月を祝うために用いられていたようだ.収穫時期は主に冬で,沖縄で愛される伝統野菜である.この品種がいったいどの系統にいるのか,白茎との関係がどうなのか.気になる.

水芋(八丈島

沖縄芋や大東芋ともいう.2倍体の親芋型の品種であるが,沖縄の田芋との関連性は勉強不足である.小笠原にも水芋があるが,これとの関係もまだ勉強不足である.

溝芋 (九州・四国)

2倍体の葉柄および親芋を利用する品種.葉柄は浅い灰色がかった緑であり,葉柄を主に利用するほか芋も食用になる.みがしきより葉柄は太く,直立性で背が高い.頸部から抱合部上端までの中央にかけてくすんだ桃色となる.襟掛は桃色で,みがしきより明瞭.福岡,佐賀,広島,岡山などに僅かに分布する.

みがしき(九州南部~南西諸島)

2倍体の葉柄を利用する品種.葉柄は淡緑,頸部の屈曲は緩く,頸部から抱合部の上端までが鮮桃色で,襟掛はきわめて浅い桃色.芽は桃色.古くから栽培され,1800年代の文献にもあるほどだが現在は殆ど生産されていない.関連品種のロフト蕃は台湾に分布し,国内にも導入されている.

檳榔心(檳榔芯)(琉球列島~台湾)

2倍体の親芋を利用する品種.台湾では水田で生産されているとのことだが,沖縄でも生産があるとのことである.別名蓬莱芋だが,子芋を利用する3倍体の蓬莱芋も別にあるので注意が必要.非常に晩生であり,耐寒性が低い南方系の芋である.草姿はやや開帳性で中程度の高さ,葉は濃緑色,葉柄は緑色で上部は赤い.芋の内部の維管束が赤紫色であることが特徴的.子芋の着生数は少なく,小さい.台湾では主に水田で生産されるとのこと.琉球列島でも栽培されるとの記述も見かけたが,沖縄産田芋との関係性について気になる.

琉球青茎(琉球北部)

2倍体の水生雑草であり,えぐみが強く芋がそもそもできないために利用はされない.草姿は蘞芋群に似るが,倍数が異なり由来が異なると考えられる.葉身は丸い心形,濃緑.葉柄は濃い黄緑.ランナーの長さは1m以内.非常に開花しやすく,仏炎苞の上部筒部は薄い黄色である.草丈は50~70㎝.花はよく咲くが不稔であり,花粉の稔性も非常に低い.

琉球赤茎(八重山

2倍体の水生雑草であり,えぐみが強く芋があまりできないために利用はされない.葉身は長い心形,暗緑色.葉柄の上部は暗い赤.ランナーは細長く,長さ2mに達する.開花しやすく,仏炎苞の上部筒部は長く薄い橙黄色.日本の他の品種とよりも,タイやインドネシアタロイモ類との関係が深いとされている.不稔と思われる.

 

参考文献

山口裕文,島本義也.(2001).栽培植物の自然史 野生植物と人類の共進化 151-161.北海道大学図書刊行会.

今知られていること,伝えること「タロイモは語る」東京農業大学「食と農」の博物館 展示案内 No.62.(2012)

熊沢三郎, 二井内清之, & 本多藤雄. (1956). 本邦における里芋の品種分類. 園芸學會雜誌, 25(1), 1-10.

池澤和広, 福元伸一, 遠城道雄, 吉田理一郎, & 岩井純夫. (2014). ポット栽培における湛水処理がサトイモ ‘大吉’(Clocasia esculenta Schott cv.‘Daikichi’) の生育と収量に及ぼす影響. 園芸学研究, 13(1), 35-40.

飛高義雄. (1971). サトイモの品種分類と作型の創設: 昭和 45 年度農業技術功労賞受賞記 (2).

宮崎貞巳, & 田代洋丞. (1992). 江戸時代の農書及び本草書類に記載されているサトイモの品種及び品種群について.

青葉高. (1987). 石芋伝説のサトイモについて.農耕の技術と文化.10,74-88.

西日本における歴史時代(過去1,300年間)の気候変化と人間社会に与えた影響.