今回は身近にあるカオス、ノビエについて…おもに「雑穀の自然史」とWu et al., 2022をベースに書いていますが、勘違いなどあるかもです。ひとまずノビエに興味を持ってみる人が増えたらなあと思って書いています。
A. ヒエと食
ヒエ属植物Echinochloaは農業とそれにともなう雑草の進化を考える上で非常に興味深い植物である。この属は世界各地で食用利用され、作物化も複数回試みられてきた。ニジェール川では浮性をもつヒエ類のE. stagninaが野生利用される。その収穫はネイティブアメリカンのワイルドライス利用と似て、小船の上から穂を叩いて脱粒性に富むその小穂を回収し、脱穀して用いるものだという。ノビエ類の利用は縄文時代の遺跡からも確認されており、イヌビエが主に用いられてきた。東南アジアのE colonaはJungle riceとよばれるように、いまでも採集利用されることがある。日本においても、かつては野生ヒエ属植物を採集利用していた。縄文時代の遺跡からヒエ属の粒が見つかることはしばしばあり、特に北方において顕著である。北海道の縄文時代遺跡では時代とともに土器に埋まったイヌビエ粒が大型化し栽培ヒエに近づいていく様子が確認されており、野生ヒエを利用しながらも粒の大きい食用に適した個体を選抜し、栽培化が行われてきたことは想像に難くない。いっぽうでこうしたヒエ属がそのまま食用にするために用いられていたのか、それとも酒用に栽培されていたのかは未だ明らかではない。日本の東北~北海道において縄文人の栽培化したヒエがのちのニホンビエに繋がっていったのではないか、というのはあくまで推測に過ぎないが、有力な仮説である。
中国において、タイヌビエが食用とされ脱粒性を欠く作物として品種改良されてきたことは長い間知られていなかった。モソ族の栽培する“モソビエ”をはじめとして、中国各地に非脱粒型タイヌビエが分布することからは、タイヌビエが作物化され栽培利用されてきたことは疑いようがない。そもそも私は、タイヌビエもまた作物であった、或いは作物が二次的に雑草化したのではないかと考えている。タイヌビエの小穂は野生ヒエ類の中でも最大であるし、事実タイヌビエとはまた別に雑草型タイヌビエとでもいうべき、小穂の小さい平伏性の個体群が東アジアの一部に分布している(E. oryzoides var. hainanensis Wu et al., 2022)。
インド亜大陸において、ヒエ類は現在もなお重要な穀物としての地位を保持している。熱帯アジアに広く分布するコヒメビエEchinochloa colonaは野生ヒエ類の中でも最も小型で生産性の低い種のように思われるが、インドではこれをインドビエ E. colona var. frumentaceaへと改良した。インドビエはホワイトパニックと呼ばれるものの少なくとも一部を占め、日本でもそうと知られず栽培されているようである。また、ヒエとして市販されるインド産穀物はおそらくインドビエであろう。インドビエとニホンビエはしばしば識別困難なほど酷似する。コヒメビエとイヌビエはそこまで似ていないので興味深い。
ヒエ類の食用化過程において、やはり注目すべきはニホンビエだろう。日本におけるヒエ生産はもはや息も絶え絶えで、貧困の象徴のようにすら扱われているが、日本由来のヒエが日本海を渡って東アジアを席巻し、中国や朝鮮半島の広域にわたって栽培されるようになったこと、また大陸においてはいまだ主要な穀物のひとつであることは特筆すべきものがある。厳しい気候でも育つ強健さ、また茹でて脱穀し食用に加工した状態ですら何年もの保存に耐える保存性の高さ、乾燥した土地でも水田でも育つ水条件への自由度は、いかにニホンビエの食味や生産力がイネに劣ろうとも人々の最後の命綱として育てられ続けた理由である。それでいて、種子の休眠性や脱粒性といった野生ヒエの悪癖も克服している。現代農業の浸透により貧困の時代が終わった今、過去の苦しい時代を思い起こさせるとしてニホンビエが邪険に扱われ、もはや育てている人を見つけることが難しくなりつつあることはたいへん悲しいことである。
いまやヒエを入手するのは、小鳥の餌用が最も容易である。そのひと粒ひと粒を見てみると、産地によって結構な差があることに驚かされる。中国から輸入されているヒエもおそらくニホンビエであろうが粒のふくらみが著しく弱く、粒径も小さく、イヌビエの風体を残している。ニホンビエにも勿論様々な品種があり、様々な個性があるはずなのだが、その一端を垣間見えるといえるだろう。日本産の小鳥の餌用ヒエも産地によって少しずつ違っていて、さまざまな系統が流通しているようだ。
B. 雑草としてのヒエ
A章ではヒエの作物としての側面をみた。野生ヒエ、栽培ヒエはともに、食用として多くの人々を救ってきたことは間違いないことである。いっぽうで稲作においてヒエが害草であり雑草であることは疑うべくもない。藪野, 1975によれば斉民要術(550頃)に野生ヒエの防除法として1年おきに栽培するという記述があるというが、ヒエの性質からしてこれがどの程度有効なのかは疑問である。肥料がそうとう少ない前提なのだろうか。
ヒエ属植物はしばしば稲作に牙を剥く。例として、青森県で昭和38年度に実験的に行われた湛水直播栽培試験をみてみよう。この試験では1ヘクタールあたり393時間の作業時間を要し、そのうちの90.4%がヒエを抜く作業だったという。単純計算すれば、1ヘクタールあたり355時間もヒエを抜いていたことになる。湛水直播栽培の利点は省力化であるが、ヒエの発生により対象区の290時間/ヘクタールに対し明らかに劣る結果となっている。
ヒエ害は今も続いている。ヒエ類に対して有効な農薬はかなりあるが、その多くが発芽直後のヒエを枯死させるのみであり、育ってしまったヒエは抜くほかない。農薬を撒くタイミングを間違えたり、育ってしまったヒエを放置すれば次の年にはたいへんなことになる。一度ヒエ類が蔓延れば埋土種子が形成され、その後何年でも出てくる。いうまでもなく、厄介極まりない雑草である。ヒエに対する除草手段が長い間(今も部分的には)人力除草であった結果、さまざまな系統のヒエ類において独自にイネ擬態性が生じている。なかでもタイヌビエのイネ擬態性は秀逸なもので、長らくタイヌビエとイネの識別に葉耳の有無が用いられた結果、葉耳のないはずのヒエ属でありながらそれを擬態した“偽葉耳”とでもいうべき毛列を持つ個体群がいるほどである。タイヌビエのイネ擬態性は有名であるが、他の種においても独自にイネ擬態性が発生した。ヒメタイヌビエE. crus-galli var. praticolaは西日本や台湾、東南アジアに分布するが、葉は直立し草姿がイネに似ているものの、タイヌビエに比べると芸が足りない。ヨーロッパの稲作地帯にはまた別のイネ擬態性イヌビエが存在し、これはE. crus-galli var. oryzoidesと呼ばれる。日本ではいまだに認識されていないが、どこかで見つかる可能性は大である。この変種も雑草型でありながら栽培化との双方向の利用がみられ、さらには粒がタイヌビエ並みに大きく非脱粒性であるなど作物的な性質も備えるため興味深い(作物型イネ擬態性イヌビエのE. macrocarpaは本種の作物型である)。イヌビエE. crus-galli自体もしばしばイネ擬態性をもつ個体群がある。
稲作あるところイネ擬態性ヒエ類あり、と言っても過言ではない。イネ擬態性ヒエ類は東洋のタイヌビエ(とくに非脱粒性タイヌビエE. persistentia)および西欧のE. crus-galli var. oryzoides (作物型E. macrocarpa)でみられるように粒が大きく作物的な性質をもつものがあるが、これらが元作物なのか、作物を模した結果作物的になったのかははっきりとはしない。ただ私は、これらは元作物であったのではないかと考えている。
C. 野生ヒエの種とその起源
コムギにおいて、種間交配と倍数化は様々な作物系統を生み出すために非常に重要であったことが知られている。イネの場合、交雑は重要な因子とはみなされていない。ではヒエではどうだろうか。現在野生に生育しているヒエ類の大部分が異質倍数体であり、つまり交雑を起源とする種であることは特筆すべきである。2倍体ヒエ類は希少で、そのうちの少なくとも一部は絶滅したか行方不明である。どこかにひっそり生えているのかもしれないが。二倍体ヒエ類をはじめとしてヒエ類の多様性の大部分はアフリカに由来し、他の地域に分布するものは全て雑種起源である。しかも、北米と東アジアに同一回の交雑に由来する種が分布するなど奇妙な分布も多い。人間との関係性などを含めた検討の余地があるだろう。
下記は世界のヒエ類の要約である。
ヒエ類はきわめて変種が多い。これはほとんど自家受粉しかしないためである。そのため変種があたかも種のようにふるまい、広域に分布し各地で数変種が棲み分けている。
2倍体ヒエ類
基本的にアフリカにしか分布しない。
・E. haplocladaは多年生で長いノギをもつ。
・E. obtusifloraは西アフリカの乾燥したアフリカイネ田に生育する。
・E. pyramidalisの一部は二倍体だが様々ある。巨大な主に立ち性の多年生ヒエで、氾濫原に生育し高さ4mに達する。
・E. stagninaの一部は二倍体だが様々ある。多年生かつ浮性の水生種で、楕円形でしばしば長い禾を持つ。多年生かつ水生で類似するE. pictaは禾を持たず粒が丸い。どちらも倍数性が多様。
ほかにもいくつかの種がアフリカには分布するとされる。
4倍体ヒエ類
・タイヌビエ・グループ
東アジアと北米に分布する。
oryzicola var. oryzicola(タイヌビエ)、E. oryzicola var. hainanensis(日本にも分布するが和名なし。(Sato et al., 2023)穂が赤紫色で草体は顕著に平伏する無禾陸生種(Wu et al., 2022))、北米のE. walteriを含む。E. walteriとE. oryzicola(E. phyllopogonと呼ぶこともある)は核型およびサブゲノムは等しいとされているが分布や形態が大きく異なる。E. walteriは禾が長く、小穂の表面は毛におおわれる。
E. haplocladaを交雑の片親としている(Sato et al., 2023)。ほかに、2倍体型のE. pyramidalisを片親にする(Yabuno, 1976)可能性が示唆されている。
- *日本国内でも地域により分類不能の無禾ヒエ類があり、その一部が未知のタイヌビエグループである可能性は捨てきれない。
- *タイヌビエは”低緯度型”と”高緯度型”があり、高緯度型はイタリアと東アジアに自然分布する。イタリアと東アジアの系統は東アジア地域内よりも遠縁なようで(Sato et al., 2023)、東アジアからイタリアに移入されたわけではなさそうである。
6倍体ヒエ類
・イヌビエグループ E. crus-galli
イヌビエグループはE. crus-galli var. crus-galli(イヌビエ)、E. crus-galli var. oryzoides(和名なし)、E. crus-galli var. esculenta(ニホンビエ*E. crus-galli var. crus-galliの食用品種)、E. crus-galli var. praticola(ヒメイヌビエ)、E. crus-galli var. formosensis(ヒメタイヌビエ)、E. crus-galli var. crus-pavonis(ケイヌビエに相当?)を含む。ほかにもいくつかの変種を認める説もある。30万年前に起きたタイヌビエと“何か”の交雑を祖としていると考えられており、その“何か”はE. haploclada(但し現生のE. haplocladaとは約160万年前に分岐)と考えられている。また、少なくとも一部のイヌビエcrus-galli var. crus-galliは比較的近年にタイヌビエとの交雑形跡があるという。*ケイヌビエをイヌビエの一部とする扱いには問題があるように感じている。日本でそう言われているものの少なくとも一部はE. crus-galli var. crus-pavonisに相当するのではないか。
・コヒメビエグループ E. colona
野生型のE. colona var. colona(コヒメビエ)と栽培型のE. colona var. frumentacea(インドビエ)がある。栽培化はインドもしくは熱帯アフリカで起きたと考えられている。
D. 日本のヒエ類
日本のヒエ類は非常にありふれており、夏場の水田地帯を歩けば目にしないことはない。日本産ヒエ類は水条件によって住み分けている。
タイヌビエは最も水を好むヒエ類で、水中発芽能力をもちほぼ水田中にのみ生じる。稀にハス田にも生えるが、野生状態で目にすることは滅多にない。開花期は8~9月で、日本産ヒエ類で最も早生である。小穂は野生ヒエ類の中で最大で、栽培のニホンビエやインドビエに匹敵する。穂につく粒数が少ないため遠目にスカスカに見え、また穂は直立する。C型と呼ばれる小穂が膨らみ艶を帯びるタイプとF型と呼ばれる平滑なタイプがある。C型は西日本から太平洋側、F型は日本海側から東日本に多いが両方みられる地域もある。それぞれに無禾と有禾がある。暫定的に、C型およびF型の呼称を他のヒエ類にも用いる。見ているポイントは同じで、そうした方が理解しやすいためである。
イヌビエは次に水を好むヒエ類で、水中発芽能力は未熟で5㎝以深から発芽できない。。これも水田にほとんど生育し、生育の初期だけ弱いイネ擬態性をもち後に這い、節から根を出して広がる。しかし形質は安定せず、ほぼ完全なイネ擬態性を持つ系統もあるようだ。小穂はF型で禾はないことが多いがあることもある。粒径はタイヌビエより明らかに小さく、第一苞穎が短い。穂はタイヌビエよりも大きく、粒数が多いためふつうややしなだれる。タイヌビエにしばしば酷似するが、タイヌビエより花期が遅いことと小穂が小さいこと、イネ擬態性が洗練されていない点がポイントである。
ニホンビエはイヌビエの栽培化種であり、野生種に比べ草体は明らかに大きく粒数が多いが禾はほとんどなく、非脱粒性である。
crus-galli var. oryzoidesも日本にいる可能性があるが、これも非脱粒性であり長い禾をもつ。粒数は比較的少なくしなだれる。小穂はタイヌビエ並みに大きく長い禾をもつ。イネ擬態性。
ケイヌビエは大型で草姿はあきらかに開帳性で、節から根を出して広がる。小穂は紫色の長いノギをもちタイヌビエほどではないが大型であり粒数も多いため、穂は大きくしなだれる。脱粒性は高い。おそらく海外でE. crus-pavonisとよばれている植物であろうと思う。この種もE. crus-galli の一員とされる。比較的早生だがタイヌビエよりは遅い。関東の自然湿地に生じるヒエ類はたいてい本種である。
ヒメタイヌビエは他のイヌビエ類よりさらに晩生で、稲刈りに間に合わない地域が多い。小穂はC型で無禾、かつほかのイヌビエ類より小さい。穂は直立し、大きさを除いてタイヌビエに酷似する。イネ擬態性はあまり洗練されておらず、しばしば開帳する個体が混じるが、匍匐し節から発根することはまずない。ヒメタイヌビエもタイヌビエほどではないが、水中発芽能力に優れる。
ヒメイヌビエは早生かつ陸生で、タイヌビエと同時期に開花する。生育初期から茎をのばして倒伏しながら広がる。小穂は短い禾をもつこともあるが基本的に無禾である。小穂はつねにC型で、コヒメビエと並んでイヌビエ類で最も小さい部類である。
そのほか本州には分類不能のヒエ類が分布する。たとえばヒメイヌビエのように陸生し明らかに平伏するが茎は伸びずC型のもの、タイヌビエのように直立するが粒は小さくイヌビエに似るものの、第一苞穎は長いもの、など。こうした個体群も未記載や日本未記録の変種を含んでいるのではないかと思っている。つくづく奥が深い。
Wu, D., Shen, E., Jiang, B., Feng, Y., Tang, W., Lao, S., ... & Ye, C. Y. (2022). Genomic insights into the evolution of Echinochloa species as weed and orphan crop. Nature communications, 13(1), 689.
Sato, M. P., Iwakami, S., Fukunishi, K., Sugiura, K., Yasuda, K., Isobe, S., & Shirasawa, K. (2023). Telomere-to-telomere genome assembly of an allotetraploid pernicious weed, Echinochloa phyllopogon. DNA Research, 30(5), dsad023.
南西諸島にはコヒメビエが分布し、日本でもインドビエがときに栽培される。南西諸島に多年性ヒエ類が分布するという情報は掴んでいないが、いつか見つけてやると思って探している。