今年の干ばつで地下水位が下がり、各地の水路は阿鼻叫喚の地獄絵図である。普段は澄んだ湧水がこんこんと流れ様々なPotamogetonがせめぎあい、浮葉を出したり咲いたりしているような水路も、今年はヒタヒタに濁った水が流れ、Potamogetonは死にかけでどす黒く横たわる光景があちこちでみられる。Potamogetonはまだ水のある場所で生き残れればいいがコウホネ類などは動けないので、水がなくなった部分から水上化するなり、できないものはそのまま死ぬなりしている。なんとも悲しいことだ。
しかし、こんな状況でしかみられないものも少々ある。
ササバモ群落があちこちで干上がりつつあるが、ササバモは本当に乾いてしまうまで水上化はしないので、死屍累々たるありさまになっている。そんな中、点々と浮葉を出し、次々に開花している生き生きした群落がみあたる。
普段は圧倒的な量のササバモに紛れて見つからないが、こう水がなくなってあえぎ始めるとふだん埋もれていたアイノコヒルムシロが見えてくるのだ。
ここの個体は浮葉がかなり不完全で、水から一度あげようものならくるりと丸まってしまい、もう水をはじく力をのこさない。同じアイノコヒルムシロでも、他の場所のものは顔つきが違っており、ササバモよりのものとヒルムシロよりのものがいる。
ヒルムシロよりのものがいる場所では、殆どヒルムシロにしか見えないものの、沈水葉がガッチリしているような個体がみられる。さらには、本当にヒルムシロにしか見えないものも…いる。それに関してはもしかしたら別の雑種かもしれない。
浮葉の辺縁は波打ち、簡単に丸まってしまう。浮葉の表面には葉脈がくっきりと浮きたっており、ササバモの沈水葉の面影がある。
沈水葉の先端はササバモほどには禾状に突出しない。
浮葉や沈水葉の葉柄は長いが、ヒルムシロほどではない。葉身と同程度。
上部の葉はササバモとの類似が目立つが、成長初期の葉はヒルムシロとよく似ている。
成長初期の沈水葉の先端。禾状に突出しており、質感はササバモより柔らかくヒルムシロより硬い中間的。ヒルムシロの沈水葉は殆どの場合赤褐色だが(全日照でも緑の沈水葉のヒルムシロを見かけた方がいらっしゃいましたらサンプル送ってほしいくらい)、アイノコヒルムシロの沈水葉も特に下部において強く赤みを帯びる。
下部の沈水葉はみごとなまでにササバモとヒルムシロの中間形である。綺麗な雑種だ。
葉縁は僅かな波打ちと小鋸歯が混在するが、これはヒルムシロ、ササバモの両方で共通する特徴である。
葉身は15㎝を超えることもあり、ササバモに近い大きさである。そのため大量にたなびくササバモにこれが混じっていても滅多に気づけない。
托葉はひじょうに長いが脆弱で、10㎝近くになることもある。
出始めの蕾。この状態では判断はできない。
もう少し成長した蕾。ヒルムシロではそろそろ2心皮の片鱗が見え始めそうなくらいだがまだわからない。
開花し花粉放出中の花穂。4心皮が多いが、1つが退化傾向になったり、3心皮、まれに2心皮になったりしている。
結実期に入った花穂。4心皮がめだつが1つは退化傾向。
先端付近に3心皮が出てくるのは4心皮の種、たとえばPotamogeton lucens(ヨーロッパの個体群)においても知られている。したがって、基部か中部付近で3心皮を探すべきだろう。
このように途中に突然2心皮が出現するとヒルムシロの血を感じる。
この花穂はいかにも雑種らしい奇形花だらけ。しかしそういうものばかりとは限らない。
結実が始まったアイノコヒルムシロ。このように、アイノコヒルムシロは割とよく結実する。ここまで結実率が高い雑種は広葉性のものではツガルモクくらいのものである。おそろしいことに、私が育てているヒルムシロ(としか言いようがない、少なくともアイノコヒルムシロではないもの)の結実率とあまり変わらない。こういうことがあるので、ヒルムシロをヒルムシロと呼ぶことにすら不安が生じてくる。
しかし結実率が高いとはいえ、4心皮全てが結実することはない。
いかにも雑種らしい不稔花穂・・・と思いきや、水没して受粉できなかっただけ。ササバモやヒルムシロでも水没すればこうなるので、不稔の確認は難しい。
この穂はちょっとササバモっぽいごつごつした痩果になりたがっているような気がするが、ちゃんと熟せていないのかもしれない。
熟してきたアイノコヒルムシロ。
痩果はぷっくりとして艶があり、表面は平滑でぼこぼこしていない。ヒルムシロの痩果にそっくりである。
ちなみにヒルムシロ、エゾヒルムシロ、ガシャモクあたりの痩果はぷっくりと大きく膨らんでいるのに対し、ササバモの痩果はげっそりと痩せて、小さく、ゴツゴツしている。じつはこの辺りの種は痩果だけでも見当をつけることが可能だが、エゾヒルムシロとヒルムシロは迷う。
しっかり熟している。
さて、成熟した花穂の殆どすべてで10粒程度かそれ以上の結実が確認できた。そのうちいくつかは殆どヒルムシロの果実と変わらないほど熟しており、発芽能があったとしても全く驚かない。
アイノコヒルムシロの種子に発芽能があるかどうかは今のところ分かっていないが、ヒルムシロとササバモは浸透交雑していても何ら驚かない。
当方においては「ササバモは干ばつ時に水上形は作るが、浮葉形成能力をもたない」のだが、地域によっては浮葉を作るササバモがいるようであり、そうしたものは浸透交雑の産物かもしれない。またササバモの葉の波打ちも地域によって違いがあり、それにも関与しているかもしれない。
さらに興味深いことに、ササバモと、それによく似たガシャモクの雑種であるインバモには結実能が殆どない。
安直に決めつけることは危険だが、ササバモに最も近縁なのは一見よく似た(Hagströmが示唆したような)ガシャモクではなく、むしろ一見あまりよく似ていないヒルムシロであることが示唆される。
さらに突っ込んでみれば、ガシャモクがエゾヒルムシロの系譜の一部であって周極分布に近いのに対して、ササバモとヒルムシロはともに東アジアを中心に分布し、極地方には進出できず南に進出していったグループであり、分布には大きな差がある。
ヒルムシロの沈水葉は薄くすぐ破れるのに対し、ササバモの葉はガッチリしている。同様の組み合わせはエゾヒルムシロとガシャモクにもみられ、このような生態的区分による種分化が両者で似通っていたのではないかという気もする。
だとすれば、ガシャモクとササバモの類似性は純粋な近縁さというより、収斂進化の産物と考えるべきだろう。ササバモの分布しないヨーロッパにおいて、流水域に生育するPotamogeton lucensがしばしばインバモと見まがうような姿になっているのも納得である。