アクアリウムでは日々、様々な植物が流通している。あるものはファームから量産されて輸入されるし、あるものはワイルド品が流通する。
さて、ここでよく聞くのが「新種」の話題である。
「このあたりはまだ未記載種が多い」という話をサトイモ科や陰生植物まわりではよく聞くし、また「〇〇の新種」と銘打って未記載種や、もしくは既存の種の外見上で明らかに異なる個体群を販売する例もみかける。
私自身、水草にまだ多くの未記載種がいることを認識しているし確認もしているので、それらにプレミアをつけて売ってしまいたい気はわからないでもない。
ただそれには問題があり、まだ新種として発表されていないものがあたかも新しいもののように流通してしまう状況は避けたいと思っている。
新種といわれるものの殆どはあくまで「既知種に酷似するがやや異なる」ものであって、新属新種であったり、既存のものと全く似ても似つかない…というものは残念ながら殆どない。
そうしたものは「分類上問題がある」。
そうしたものの厄介な点として、そもそもその種がどの個体群をもとに記載されたか…という問題が付きまとうことが挙げられる。しばしば最初の記述…原記載はざっくばらんだし、この地域の個体をもとに記載されたから元々はこれだろう…といったことになることが多い。
なので、いま市場にありふれたものが元々の種、ではない。
そうした中でちょっと違うものを「新種」というのはかなり抵抗がある。とくに水草においては、形態的違いが必ずしも形質的違いを反映しない。つまり、同じ条件でもモードチェンジする条件が若干違えば別種のように見えてしまう。水草のかたちは三次元的だけでなく、時間と環境に対する応答を含めた多次元的に判断する必要がある。遺伝子とてクリアカットとはいいがたいし、陸生植物に比べると分類や知見に著しい遅れがある。このように水草は植物の中でも特に違いの真贋を見極めにくいものである。
「広義〇〇の一員だがよく知られてきたものとは個人的に違う気がする」というのがこういうものに対する扱い方ではないかなぁと思うが、すぐ個人崇拝が発生して自信満々であることを求められがちな状況では難しい、のかもしれない。
結局のところ、水草はよくわからない。よくわからない植物がよくわからないまま流通するのは気味が悪いがそうするしかない。
また、そういった中で、国内にも同種が存在するとされる種が流通したり、逸出すると非常に問題がある。
〇〇類似の外来系統で形質が違う隠蔽種と思われるものが広がっているが、〇〇は分類上の問題があり…というのはありがちな頭の痛い話である。
結局のところ、水草は古くから流通するもの、由来がわかっていて新しく流通するもの含めて須く、だいたいは「よくわからない、もしかすると未記載種かもしれないもの」であって、よくわからない草だということを前提に扱われるべきだろう…と思う。その上で、その個体群とドンピシャなものが記載され次第、アレはこの種だったのかー、となるくらいで良い気はする。
ひとつ言えることは、流通する水草…とくに、古くから流通する古典種にはドンピシャに合致する名前がつけ難かったり、日本に生育する同種と同じ種とみなすにはあまりにも問題がある、ように見えるものが多い。
そうしたわけのわからなさを楽しむのが私は水草の遊びようがある部分だと思う。