水草オタクの水草がたり.

水草を探して調べるブログです.素人ながら頑張ります.

続・ムツオレグサ 「葟」は草の皇たるか

時は平安時代

ぬかるんだ沼地に太ももまで浸しながら、凍える春先の棚田の脇で収穫作業が行われていた。

集めているのはまことに地味な雑草。泥深い冬の深田を好み、水面に葉を浮かべている。

この地味な雑草が、帝のために集められていた。

草の実は触るだけで泥水に落下してしまうので、容器に叩き落としながら採取されたに違いない。そして収穫物の脱穀も難しく、まったく食用とするには適したものではなかった。

七種粥旧正月に一度だけ供される特別な食事のために。そしておそらく、その一食のためだけに。

その草は、草冠に皇という大仰な名で呼ばれた。そして、天皇を中心とする政治が不安定になり、武家社会の中で権力が失墜し文化的に荒廃していく過程で忘れ去られていった。

江戸時代には、それが何であるのかすら覚えているものはおらず、全く違う草がその名を冠するようになっていた。

この草が「葟」に相当することを再発見したのは、牧野富太郎である。

しかしそのときには「賎民集めて此れを食に充つ」という有り様であり、かつての栄華はどこにもなかった。

いま。

谷津田の縁やため池など極めて限られた地域に分布するこの草は、高齢化による農業放棄とため池の水質悪化、またアメリカザリガニとコイの攻撃により絶滅しようとしている。

 

ムツオレグサのことである。

ここまでのことに関しては弊ブログの前記事

https://aquaticplants-detective.hatenablog.com/entry/2023/05/18/132049

を参考いただきたい。

ムツオレグサは古代日本においてなにか、特殊な意味合いを持った食べ物であったに違いない。しかしながらその理由は、よくわかっていない。ただしそのヒントになりそうな事例が、遠くユーラシアの反対側、ポーランドからベラルーシにかけての範囲にも見られた。

ヨーロッパにはムツオレグサ Glyceria acutifloraは分布しないが、ドジョウツナギ属としてはより大型で水生傾向の強いGlyceria fluitansおよび、ヨシ並みかそれより大きくなる(⁉︎)G. maximaが広くみられる。G. fluitansは日本で見られるドジョウツナギ属の中ではウキガヤやムツオレグサに似るが、日本産のドジョウツナギ属の殆どより大型であり、ムツオレグサの3倍近い高さ1mまで達する。種子はムツオレグサよりひとまわり小さい2-4mmである(ムツオレグサは3-4mm)G. maximaは大型で高さ3mに達することすらあるというが、種子は小さく食用に適さない。

(余談。ダッチアクアリウムコンテストにG. maximaが使われた作例をいくつか見た。どこかで売られているのかと思ったのだが、ヨーロッパでは身近な草らしい。)

西欧において、石器時代からドジョウツナギ属は特別な意味合いを持っていた。狩猟採集生活を行っていた頃から主要な採集穀物として食糧利用されていたといわれている。

ポーランドではその後も利用は続き、なんとG. fluitansの種子が領主への税として(⁉︎)納められ、つねに高額な食品として扱われてきたのだという。種子はその甘さからデザートとしても使われたという。しかしながら、湿地の縮小にともなう減少と現物による納税がなくなったことにより、1914年ごろには利用されなくなったらしい。

ここにきてようやく、極めて重大な点を見逃していたことに気づいた。西欧ではドジョウツナギ属の種子が甘いことはほぼ常識なようである。そもそもGlyceriaという意味自体が「甘い」という意味であるし、英名のmannagrassも「Manna」の名を冠している。

つまり、すくなくとも西欧人にとって、ドジョウツナギ属の種子は当時限られた、特別な「甘いもの」、しかも栽培化できず野生から採集するしかない高級食材だったのである。最近ではG. fluitansを作物化し、湿地で持続的な農業を行う試みがなされているらしい。

知る限り、ムツオレグサを食べてみたという食レポはない。しかしG. fluitansにかなり近縁なことからすると、ムツオレグサの種子も多かれ少なかれ甘みを持つのではないかと思われる。

もしそうだとすればなぜ、「くさかんむりに皇」という大仰な漢字があてられ、しかもわざわざこの「雑草」が七種粥に入れられたかの理由も見えてくる。

となればムツオレグサを育てて増やして食べてみねばならない。が、それには相当な面積が必要である。自生地の環境を見ると暑さを嫌うため湧水の少しあるところが中心である。

なかなかにハードルが高いが、秋蒔きからの冬作が適当だろうか。夏に蒔いたぶんは発芽しなかった。

https://link.springer.com/article/10.1007/s10745-012-9513-4

https://gobotany.nativeplanttrust.org/species/glyceria/fluitans/

https://www.fensforthefuture.org.uk/creating-the-future/wetland-crop-glyceria