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ヒツジグサ節 Nymphaea sect. chamaenymphaeaについての、簡単なメモ

ヒツジグサは日本の水草の中でも特に知名度が高く、しかし遭遇頻度は少ないものである。さらに輪をかけて、その実態は不明と言ってもいい。

そもそもヒツジグサにどの学名を充てるべきなのだろうか。

日本国内に自生するうちの、どの原種スイレンヒツジグサと呼ぶべきであろうか?

 

柱頭が黄色で、西日本に分布する、地下茎が直立ないしほとんどなく分岐もせず、葉が小型の原種スイレンヒツジグサと呼ぶのが主流である。これを狭義ヒツジグサと呼んでおく。東日本にはそれより草体が大型のものがある。花の概形も異なるので、これを東日本型ヒツジグサとよびたい。北海道をはじめとした北日本には大型で、柱頭が赤いものや柱頭および葯が赤いものがあり、エゾノヒツジグサ、エゾベニヒツジグサといわれたりする。しかしながら、ここでは両者をあえて区別しない。なぜなら、柱頭が赤いという形質は世界的に分類基準として広く使われているために、柱頭が赤い一群としてヒツジグサ類をとらえたいためである。

Nymphaea sect. Chamaenymphaeaについて

温帯スイレンのNymphaea subgenus Nymphaeaのうち、地下茎が横に伸びず、種子によってのみ増殖するものである。北半球の亜寒帯から温帯を中心に分布し、しばしばNymphaea tetragona一種のみとして扱われる。但し分類に関してはやや問題があり、今後複数種に分けられるのではないかと思われる。

 

Nymphaea tetragonaのこと

さて、ヒツジグサにはしばしば Nymphaea tetragonaという学名があてられる。また、Nymphaea pygmaeaが用いられることもある。

最初に書いておきたいこととして、Nymphaea tetragonaはほとんどエゾベニヒツジグサそのもののことである。北半球の高緯度地域に周極分布しており、ヨーロッパ北部(フィンランドなど)、ロシア、アラスカ、カナダ、そして北海道に分布する。標高などにより例外もあるが、おもに北緯50度以上に分布しているように私には見える(確証はない)。北海道に分布しているのは南方への例外的な分布だろう。N. tetragonaのタイプ標本は指定されていないが、シベリアのアンガラ川にて採集されたものとされており、この地域に分布し、また当時標本として知られていた個体群の花托は明瞭な四角形であり、柱頭は赤で、葯はしばしば紫色となる。したがって、Wiersema(1996)はこの個体群をN. tetragonaとして扱い、同様のものがヨーロッパやカナダ、アメリカ北部にも分布するとしている。

この特徴は日本においてエゾベニヒツジグサと呼ばれるものとほぼ合致する。柱頭が赤いN. tetragonaが周極的に連続した分布を示すことを考えても、日本のエゾベニヒツジグサをN. tetragonaが南方においてギリギリ分布したととらえたほうが自然だろう。

なお、柱頭が赤いN. tetragonaが本当に一種なのかどうかに関してはタイプ産地であり、かつ分布の大部分を占めるロシアの標本にアクセスする必要があり、ロシアが戦争している現状ではかなりハードルが高いだろう。

 

Nymphaea pygmaeaのこと

さて、ヒツジグサに相当すると「思われる」個体群はCastalia pygmaeaとしてSalisburyにより1807年に記載された。記述へのリンクを示す。

v.1-2 - The paradisus londinensis - Biodiversity Heritage Library

さて、このSalisburyが記述したスイレンは中国のもの「であろう」としている。但し記載に用いられた、Salisburyが栽培していた個体の標本はつくられておらず、参照個体としたキューガーデンの個体は1805年に東インド会社からもたらされたことはわかっているが、その標本も残っていない。Salisburyの記載したヒツジグサ類の花托は「わずかに四角形」であり、「柱頭は黄色」であることで、狭義のNymphaea tetragonaとは異なっている。(Wiersema, 1996)そしてこれらの特徴はヒツジグサにも共通する。このことから、記載に問題があるとはいえどもアジアに産する形態が非典型的な広義N. tetragonaに対し、N. pygmaeaを使う例がある(たとえばBorschら, 2014)のは妥当であるように思う。

さて、N. pygmaeaはその他のN. tetragona類似の種に比較して非常に南方まで生育している。N. tetragonaとその近縁種は基本的には亜寒帯の種であって、温帯に分布するのはアジアのN. pygmaeaアメリカのN. leibergiiであり、ともに柱頭が黄色い。

Nymphaea leibergiiのこと

カナダ南部からアメリカ北部の温帯にも日本のヒツジグサに酷似した種が分布している。アジアのヒツジグサと同じく柱頭は黄色く、小型種である。しかしながら花弁やガク、葉の裂片が丸みを帯びることで区別されると、Morongにより1888年に記載された。

リンクを示す

https://www.biodiversitylibrary.org/page/28466927#page/131/mode/1up

その後N. tetragonaの範疇とされたり、亜種とされたりしているが、花托の形状が円形に近く、平面的で僅かに角をもつのみであり、N. tetragonaでみられるように四角形に膨らまないことからWiersema, 1996により再度種レベルに昇格した。非常に興味深いことに、Borsch(2014)ではN. tetragonaとN. leibergiiの間に生殖隔離が存在し, 雑種は不稔であるとしている。形態的な類似性からN. pygmaeaに近いかと思われたが、Borschら(2014)、Robsonら, (2016)ではN. pygmaeaよりもむしろN. tetragonaと近縁であることが示された。アジアのヒツジグサを加えた分子系統解析でもヒツジグサは北米産のN. leibergii, N. tetragonaのどちらにも入らなかった。なおこれらの解析では(N. odorata+N. mexicana)+(N. alba, candida, sect. Chamaenymphaea)といった形になっている。

したがって、N. tetragonaと言われてきた種には少なくとも3種があると考えられるだろう。

ところで、MarliacがヘルボラNymphaea  'Helvola'の交配親として使ったのはヒツジグサでもN. tetragonaでもなく、N. leibergiiではなかろうか?花弁の形状や黄色い柱頭、小型の草体などはleibergiiの方が近そうに思えてならない。Marliacは北米のN. odorata odorataやN. odorata tuberosaも仕入れているから、 北米西海岸にも分布があるN. leibergiiを仕入れたことも考えられうる。

 

分布と形態からの推測

ここからは私の、あくまで推測に過ぎないことを先に書いておきたい。

Nymphaea subgenus Nymphaeaの中において、根茎を作るほうが祖先的である。したがって、sect. Chamaenymphaeaが根茎増殖しないのにはそれなりの理由があると考えるほかない。北方系で成長に数年かかることからして、熱帯性のN. sect. Brachycerasにみられるような急激な成長とシードバンクの形成というよりは、北方の厳しい条件の中でできるだけ種子生産に体力を割くためではないだろうか。正午に咲き、より南方系で根茎を作るN. albaやN. odorataより咲く時間が遅いのも、訪花昆虫が動けるようになるのを待っているのかもしれない。(結果的に生殖隔離におけるバリアーになっており、自然交雑種はN. odorataが花粉親になっているようだ)

Nymphaea sect. chamaenymphaeaは周極分布のN. tetragonaと、それより南のN. pygmaea(アジア)およびN. leibergii(北米)に分けられる。

形態的によりよく似たN. pygmaeaとN. leibergiiよりも、形態的に離れており生殖隔離されたN. tetragonaとN. leibergiiのほうが近縁である。

したがってN. pygmaeaとN. leibergiiがもつヒツジグサ的な形質のほうが祖先的であって、N. tetragonaの形質は後に獲得されたのではなかろうか。N. tetragonaがより北方に分布すること、かつ本当の極地ではこれらのどれもが分布できないことを考えるとこんな説明ができるかもしれない。

sect. chamaenymphaeaの祖先種は氷河期に一旦南方に追いやられ、北米のN. leibergiiとアジアのN. pygmaeaが孤立、その後間氷期に温暖化が進むと北方でなんとか辛うじて生き残っていた個体群がN. tetragonaとして周極的に分布を拡大したのではないか…と。

日本におけるヒツジグサとエゾベニヒツジグサの間には移行帯的な"東日本のヒツジグサ"がいるが、これらは一度隔離されていたN. tetragonaとN. pygmaeaが再度出会って形成されたものだろう。N. pygmaeaとN. tetragonaの間にどれほど生殖隔離があるかは不明な点も多いが、これらが単なる雑種起源の個体群なのか、それとも不稔雑種が倍数体化するなどのさらなる変化により稔性を持ったものなのか興味深い。

 

途中で言及したおもな文献

Wiersema, J. H. (1996). Nymphaea tetragona and Nymphaea leibergii (Nymphaeaceae): two species of diminutive water-lilies in North America. Brittonia48, 520-531.

Borsch, T., Wiersema, J. H., Hellquist, C. B., Löhne, C., & Govers, K. (2014). Speciation in North American water lilies: evidence for the hybrid origin of the newly discovered Canadian endemic Nymphaea loriana sp. nov.(Nymphaeaceae) in a past contact zone. Botany92(12), 867-882.

Robson, D. B., Wiersema, J. H., Hellquist, C. B., & Borsch, T. (2016). Distribution and ecology of a New Species of Water-lily, Nymphaea loriana (Nymphaeaceae), in Western Canada. The Canadian Field-Naturalist130(1), 25-31.

Morong, T. (1888)A new water-lily.  Botanical Gazette; Paper of Botanical Notes,13, 124.