水草オタクの水草がたり.

水草を探して調べるブログです.素人ながら頑張ります.

「新種」を買う前に

新種、魅力的な響きかもしれない。

少なくとも、アクアリウムや珍奇植物、ジメジメ系業界においては新種!ほど客の興味を引く売り文句はないようにすら思える。

 

しかし、私はそれがひじょうに腹立たしく思えて、反吐が出るほど嫌いだ。

 

私は科学者ではないが、できるだけ論文から典拠し、科学から学びを得ながら生きていたいと思っている。かつて何百年も先人たちが悩み続けた結果の上に立ちたいと思っている。

 

さて「新種」というのは、科学の結晶に他ならない。

新種が記載されるのは、まず変わった種を見つけてくるという点が外野からは重視されるが、正直変わった種を見つけてくるのは記載者でなくてもいいし、ものすごく昔の人が見つけてきた標本でもいい。本当に大変なのはそこからである。

その変わった種は、本当に既知の他の種と違うのか?

・それはどのように?

・一見変わっていても既知の種の交雑ではないか?

・既知の種であっても、ごく少数の遺伝子の変異で決定的に姿が変わる、そういうものではないか?

・全く違う地域に分布している種の、思わぬ隔離分布ではないか?

・先代の研究者が頓珍漢な分類や形態記載をしていて、それゆえに近似種の候補に当該種が上がってきていないだけではないか?

・最も近縁と目される種は本当に一種類なのか?多数含まれているとしたら種複合体として分類をやり直さないと後々混乱のもとになる。

などなど…

こういったことはごくごく基礎的で当たり前のことだが、それを(植物の場合、2010年代以前ならラテン語というランゲージバリアすらあった)なんとか記載したとして今度は査読で非常に厳しい、しばしば罵倒の嵐のようなコメントがついてくる。

それらに心を折られずにようやく記載されて、論文が無事出版されてはじめて新種は新種とされる。ちなみに新種は認定するものでも登録するものでもない。

(動物ではZoobankに登録しないと有効名ではない、などもあるし、むかわ竜はじめそれに引っかかってしまったケースもあるが)

 

そして、記載されたそれらを種として認めるかどうかは後世の研究者にゆだねられる。だいたいの場合、その分類群に関する包括的な研究が行われた際に、かなりの数の学名が実は同じ種を示したとしてバッサリ切り捨てられるのが常であるし、その切り捨てられた学名の中から、本当は独自性があったと掘り起こす人がいるのもまた常である。

 

では、「新種」はいつからいつまで「新種」なのだろうか?

記載されるときまで、「新種」は新種ではない。

それらは未記載種であって、新しくはない。少しマイナーな分野に足を踏み入れてみれば、何十年も放置されている未記載種がゴロゴロいる。上記のように新種記載には非常に高いハードルがあり、まだ分類群全体の整理が進んでいなさ過ぎて名付けるには早いだとか、決定的な証拠が得られていないだとか、全生活史がわかっていないだとかいろいろある。

そのような、何十年も前から知られてはいるが記載が保留されているような種はもしみつけたとしても新種とはとてもいいがたい。

では、新種が記載されてからどのくらいまで新種なのだろうか?

それもまた…かなり微妙な問題だろう。

 

要するに、新種、というのは記載論文の中にしかない。「新種」を表すラテン語のsp. nov.という表現が出てくるのはその種に名前を付けた、原記載論文の中のみである。

 

一般人がしばしば「新種~」と言っているのはほぼほぼすべて誤用であって、殆どの場合は未記載種に言い換えられる。

 

さてここまでは前置きだったが、私が腹を立てている内容についてここから述べていこうとおもう。

 

基本的に科学というのは、「役に立たない」ものである。

物事を知りたい、という探究心の結晶であって、広告ではない。

現状、新種というのが売り文句として使われてしまうのが現状であり、採集者と研究者の間にはきわめて利益相反が生じてしまいやすい状況といえる。また採集者は新種と言い張っていても本当はそうでなかった場合、採集者のメンツが立たないのではないかというような状況も見かける。これらは強烈な認知バイアスをもたらすだろうし、種のOver-splitting(細分化しすぎ)を引き起こす。いったんそうなってしまうと、そのような細分化を行った研究者の目が黒いうちはなかなか是正できず、何が違うのかよくわからない酷似種があふれかえるカオスが生まれてしまう。さらに、記載には通例、後々再検証可能なように様々な詳細な情報を書かねばならない。しかし新種というものへの採集圧がヒートアップしてしまっている中では、採集者によって産地の壊滅が容易に引き起こされる。そのために偽の!産地情報を書くようなことが行われていると聞く。

このように、商業的な採集行為と新種のブランド化が科学を侵略し、脅かしている。

とくにそのような利益相反の極みともいえるアクアリウム業界には怪しい記載をする人が非常に多く、調べる上で非常に頭を悩ませている。商業誌やあげくの果てには同人誌(⁉)に「記載論文」を書いたりだとか、不十分な記載で内容の検証の使用がないだとか、雑種を新種として記載連発するとか、挙句の果てにはタイプ標本の偽造をする人すらいるし、いた。

こんな状況では、少しでもアクアリウムに関わった人が著者に加わっている論文は信用ならないという気すらしてきてしまう。

 

このような状況をふまえてもなお、その「あたらしい個体」が気になって仕方がないのであれば買うことを止めはしない。

しかし、「新種」だからといって買うのはいかがなものだろうか。売る方もまた、「新種」を売り文句にするのはいいかげんやめてもらいたいところである。

私がこんなところで吠えても、このどうしようもない現状は変わることは無いだろうけれど、言いたいことは言っておきたい。