私らしくないタイトルと内容の記事である。が、私の他方面の知識を水草方面にフィードバックした記事を書こうと思った次第である。
まず、遠近法について述べる。
一点透視図法というのは西洋美術が生み出した革命的な技術であるが、自然を題材としたレイアウトで一点透視図法を使おうとすると、なかなか使いどころに困る。
「消失点をだいたいどこに持っていく」くらいには役に立つのだが、一点透視図法は「まっすぐな線と平行な線がある」という前提で成り立つ理論である。2点透視にしたって3点透視にしたってそうで、「まっすぐで平行であるという前提のものが平行でない」ことによって遠近感を出すという描き方となる。
要するにこの「いわゆる遠近法」は「ネイチャー」アクアリウムには非常に相性が悪い。「だいたい葉の大きい水草や大きな石を手前に、細かいものを消失点周囲に」程度の使い方はできるものの、建物を描くときのような絶大な効果は発揮しえないのである。
とはいえまあ一つ目の例を挙げてみよう。
要するに前に大きい草を、後ろに小さい草を配置するだけで奥行きがある程度出るということになる。(まじめにやってないので狂いはあるけど御愛嬌)
さて、この方法はあまりネイチャーアクアリウムに向いていないとすると、どうすべきか?
ということで色彩遠近法と空気遠近法についてちょっとだけ語ってみよう。
まず途中に透明度70%の青灰色を入れてみる
空気遠近法のイメージとしてはこんな感じ、という説明がよくされているが、そう単純な話でもない。実際の風景を見てみれば(便利なことに日本の山にんは杉林やメガソーラーなど、単調で全く同じ景色が永遠に続く場所が沢山ある…残念なことだがこんな時くらいには役に立つ)、遠くのものほど青灰色に、手前の方が鮮やかな原色に見えることに気づかれると思う。
というわけで
「遠くのものは小さく、色味がなくなり、青白くなる」
ということが概して言える。
美術の業界では、一般にこの原因は大気のレイリー散乱による青色・ミー散乱による白色成分の付加と大気中での光の散乱による他波長の減衰が言われているようだ。
水中でもこの法則が言えるが、水による光の吸収スペクトルが赤側に偏るため赤色光が遠くまで届きにくく、この傾向はずっと顕著になる。研究のため風景や水中の写真を色々見て、画像編集ソフトでいじってみると面白い。以前相当実験してみたが、遠くのものを色抽出するととんでもない色が出てくることが実によくある。
まあさておき、
「遠くのものは小さく、色味がなくなり、青白くなる」
というのは間違いなく自然の法則であり、ニンゲンの目もそれに馴染んでいるために色彩遠近法なんてのが通用する。これは赤や黄色といった彩度の高いものが青っぽいものより前っぽく見える、彩度が高いものが低いものより前っぽく見える・・・というようなことだ。
さらに、通例ヒトは遠くのものより近くのものを気にするので、彩度の高いものを前に持ってくることでそこに視線を誘導することが可能である。
さて、これらは絵などの平面美術界隈ではごく当たり前のように使われている手法である。しかしレイアウトに体系づけて、狙ってやっている例はあまり聞かない。
近年のレイアウトは立体的な土木工事が発達する一方で、どんどん近視眼的・マクロな世界になっているように思える。遠距離戦を仕掛けるレイアウトはかなり少ない。遠距離戦を仕掛けるにしても、天野氏が初期から行っていた岩組をある程度かえただけで、ドラスティックなものはなかなか見当たらない。
よく近年のレイアウトは「ジオラマ的」といわれるが、これにもいくらか言いたいことがある。たしかにジオラマはマクロ的視点を大事にするし、遠近法はあまり取り入れられていない。しかしこれにはちゃんとした理由がある。
ジオラマは、立体的であまねくすべてを見渡せる”神の視点”の中で全周から色々な画角をとりながら様々な表情を見せさせる、という芸術である。
そのためジオラマは「絵に描けばいいところを」敢えて苦労して立体に作っていることに誇りを持ち、細かければ細かいほど賞賛される。一方向からの視点に限定して作るのは”ボックス”と呼ばれるようなごく一部の変なジオラマくらいであり、全体の構図は大事ではあっても全てではない。
ジオラマを見る人は「神の視点」で作品を見る以上、人間的な遠近感なんて言うバイアスは基本的には邪魔なのである。
「地上を切り取ったような」ジオラマと、「水中を切り取ったように」レイアウトし、正面からの全体写真で競われる水草レイアウトとは、似ているようで根本的なところで全く異なる世界なのである。
なので、水草レイアウトはジオラマより風景画を手本とすべきだ。
(水草レイアウトが海外ではAquascapeと呼ばれがちなのも全てを物語っている)
ここで天野氏が晩年に行っていた「石組遠近法」をみてみると面白い。
手前に置かれるのは広葉の前景草であるスタウロギネspなどで、途中に間をおいて石組が行われる。
ここにスペースが置かれるのは周囲からの隔絶とともに、遠近感をとるために必要な間合いである。ここが連続してしまうと、せっかくとった遠近感も台無しだし、そこを埋めるために綿密な計算をしながら植栽・トリミングするのは非常に労力と手間の無駄遣いと言える。
さらに岩石が色鮮やかで黄緑色の水草より前にしゃしゃり出ることによって生じる立体・テクスチャ・色彩遠近法的なパース破綻を華麗に回避し、青灰色で寒色で山のようなテクスチャを持つ岩石が遠くの風景としてすんなり収まっている。ここに置かれるべき非常に細かく彩度の低い水草など、あまりない。モス系はそういう使い方ができそうなのもあるかもしれないが…。
(それに、もしそういう水草があったとしてもそんなものは地味だ、映えないとして市場からすぐに淘汰されたであろう)
というわけで石組遠近法は私から見ると非常に合理的だし、もっと美術的に飛躍的な発展をしうる分野であるように思える。
最後に。
私は外野であり、ネイチャーアクアリウムのレイアウトを作るつもりも、コンテストに出すつもりも現在のところない。
したがって、ここに書かれた内容を自分で作って、実際に見てみることはかなわないだろう。
でも見てみたい。
だから、是非とも試してみてほしい。